港区地域に図書館が設置されたのは、明治40年代に入ってからのことであるが、公的な社会教育の施策は、図書館、博物館事業から始まったといえる。
政府の施策で、宣教師や教導班を設置し、国民の教化を図ったことは初めに触れたが、その一方で、政府は、文明開化をすすめる方策として図書館(書籍館)の設置をはかり、地方にも設置をすすめ、博物館の開設も行い、文化財の価値にも関心を高めようとしていた。
■図書館
東京においては、旧昌平学校講堂を仮館として、公開書籍館が明治5年に東京書籍館として開設された。明治9年の蔵書は7万余冊、閲覧者は年間2万4468人であったという。明治12年の「教育令」の中で、初めて書籍館が掲げられた。明治13年、書籍館は東京図書館となった。
明治15年には、和漢書2万余部、洋書7200余部、閲覧者は、5万3800余名であったという。これらの閲覧・利用者の中に、港区地域の人々がどれくらいいたかは不明であるが、図書館の恩恵を受けていたと思われる。
この東京図書館は、明治30年帝国図書館と名称を改めている。
■博物館
博物館は、明治4年に湯島聖堂大成殿をあてて、開設された。明治5年には文部省博物局を開設し、博覧会が開催され、大好評を博したという。これは、同6年にウィーンで開かれた万国博覧会の準備と宣伝を兼ねたものであった。
明治8年東京博物館が開設され、同10年教育博物館と名称を改めた。後に、帝室博物館、東京科学博物館(いずれも上野公園)となった。
港区地域の人々が博覧会にどのように参加し、その後、博物館をどのように利用していたか詳かではないが、文明開化を象徴する図書館や博物館に関心をもって出かけ、教育的影響を受けた人々も少なくなかったのではないかと思われる。
明治前期の港区地域には、図書館・博物館に類するものは未だ現れず、明治後期を待つことになる。