「市制・町村制」の施行[注釈1]

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 明治22年4月より施行された「市制・町村制」に伴って、港区地域内では、次のような変更があった。
 
  芝区荏原郡白金村(字長者丸、今里ノ内元増上寺下屋敷ヲ除ク)ヲ芝区へ合併麻布区南豊島郡下渋谷村字筓開(こうかい)谷ノ内筓川以東、原宿村飛地字五反田ノ内自一番地至三三番地ヲ麻布へ合併赤坂区南豊島郡原宿村飛地字五反田ノ内三四番地至四七番地ヲ赤坂区へ合併
 
 このほか、白金村の一部、芝区白金猿町の一部及び三田村を荏原(えばら)郡に合併、麻布区麻布広尾町の一部及び赤坂区青山南町7丁目、北町7丁目を南豊島郡に合併した。
 
 明治19年の「小学校令」により、小学校の設置区域は改められていたが、この「市制・町村制」により変更され、更に同23年の「小学校令」の制定に伴って、また新たに学区を変更しなければならない地域が生じた。例えば白金小学校の場合がそうである。
 
  小学校令改正ニ付 白金小学校ノ設置区域中元三田村ヲ分離シテ目黒村ノ学区へ、白金村ノ一部ヲ分離シテ大崎村ノ学区へ編入シ、其財産ハ之ヲ分割セズ現在ノ儘(ママ)芝区へ引継グモノトス
  (明治23年11月提出小学校財産分別伺)
 
  小学校令改正ニ付 芝区学区域中白金猿町ノ一部ヲ分離シテ大崎村ノ学区へ編入シ小学校ニ属スル財産ハ之ヲ分割セス、又白金村ハ白金小学校財産ヲ以テ本学区(芝)へ編入スルモノトス(『東京都公文書館文書』)
 
 この時以来、白金小学校は芝区に属することになった。学区変更に伴い、学校財産の分割が行われた。同じく青山小学校に関しても次の文書がある。
 
  小学校令改正ニ依リ、従来ノ学区ニ変更ヲ来シ、南豊島郡渋谷村元青山南町七丁目、北町七丁目、渋谷宮益町ノ三カ町カ当学区内ヲ分離スル事トナレリ、因テ該三ケ村ニ対シ財産ノ分離ヲ要スルカ故ニ教育費残余金及青山小学校資産ヲ左ノ如ク処分スルモノトス
   明治二二年度教育費残余金 二八円九銭四厘
                 地価 一五万六四九五円〇・〇六
   明治二二年度校費残余金  二円三二銭六厘
                 家屋 二〇万六二〇四円〇・〇八五
                 一〇〇個に付五厘九毛
   分割方法 地価割・家屋割
     渋谷村   一円二九銭一厘
     青山小学校 三八七円四五銭
      〃  二二年度校費残余金 九三円八銭二厘
       渋谷村へ  六三円八〇銭四厘
       宮益町へ  四六円一七銭
       家屋割   七円五三銭       (『東京都公文書館文書』)
 
 町村の編成変えは明治24年3月にも行われ、整備されていったが、更に明治39年には「市制特例」の廃止が公布され、10月1日より不完全ながらも、東京市に自治制がしかれることとなった。