学校の維持がもっぱら授業料に頼るようになった明治19年ごろは就学率は停滞したが、同30年以後、向上していった。これは全国的傾向であり、日清戦争による国民意識の高揚や、「小学校教育費国庫補助法」の成立、無月謝制の成立による授業料の軽減などによるものであった。
芝、麻布、赤坂の3区の中では、赤坂区が就学率が高かったのは、経済的に恵まれた地域であったからであろう[図18]。
[図19]の学齢人員表中「就学」というのは、現在尋常(じんじょう)小学科在学者と、本年度卒業者及び前年以前の卒業者の合計数である。「不就学」というのは、「本年度」の尋常小学科の「半途退学者」と、「前年以前」の尋常小学科「半途退学者」の合計である。「半途退学」の主な理由は、「生活困窮」と「疾病(しっぺい)」である。未就学の原因も同じく「生活困窮」と「疾病」であるが、生活困窮による未就学は、地域的に大きな差があり、芝区においてそれは著しく、赤坂区においては少ない。更に赤坂区では、「生活困窮」による「半途退学」は、「本年度」も「前年以前」もゼロである。このように、生活困窮による就学問題は、地域的な取り組みの必要性と共に浮かびあがってくるのである。
[図17]明治後期の就学の様子/全国・東京府
[図18]港区地域の明治の就学の様子(東京都公文書館所蔵)
[図19]芝・麻布・赤坂3区の就学状況・明治32年(東京都公文書館所蔵)
関連資料:【文書】教育行政 小学校授業料
関連資料:【図表および統計資料】学校教育 区内就学率-明治20年~昭和5年-
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