私立小学校の状況[図26]

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 明治23年の「小学校令」第2条に
 
  市町村若クハ町村学校組合又ハ其区ノ負担ヲ以テ設置スルモノヲ市町村立小学校トシ一人若クハ数人ノ費用ヲ以テ設立スルモノヲ私立小学校トス
 
と、初めて私立小学校という名称を公に用いた。私塾・家塾としてそれまで続いたものが、ようやく私立学校として陽の目を見ることになったのであった。すでに、東京府では、明治21年の府令によって私立小学校組合を設け、規約を定めて府の認可を受けることを義務づけていた。港区地域には、明治前期より続く私立小学校が多数あり、前述のように公立学校の代用としての役割を負うものがあった。
 

[図26]私立小学校設置認可案(東京都公文書館所蔵)

 私立小学校の設立者の資格として、府令第23号により、次のように定められた。
 
  第一条 私立小学校設立者ノ資格ハ左ノ事項ノ一ニ当ルモノトス
   一 小学校教員タル資格ヲ有スル者
   二 年令二十年以上ニシテ一戸ヲ構フル者但女子ハ一戸ヲ構ヘザルモ、其ノ戸主ニ於テ一戸ヲ構フルトキハ設立者タルコトヲ得
   三 前条ニ依リ難キ特別ノ事情アリト認ムルトキハ設立者ノ資格ヲ特許スルコトアルヘシ
 
 しかし、この条文はきわめて寛容で誰でも設立者になれるという懸念があり、「府下私立小学校設立規則の改正を求める意見書」が小石川区より府知事に提出された[注釈15]。
 その記すところによると、私立小学校の「校主及び教員の不完全未熟なる者多」く、「時として下宿営業を為すが如く」「生徒を集め授業料を取りて以て自己の生活の資料に供する者あり」また、「時として自己の姓名をも満足に書くこと能はざる」者が「他に求むべき職業なきが為に」学校を設立していることなどを述べ改正を求めた。
 明治27年中に[図27]の2校が開設されている。
 

[図27]明治27年中に港区地域で開設された私立小学校

 明治32年8月に出された「私立学校令」によって、父兄から就学義務免除を願い出て免除された児童に対する場合と、代用小学校と認められた場合のほかは、私立学校で小学校教育を行うことはできないことになった[注釈16]。代用小学校としての私立小学校は次々と廃校になっていったが、新たな教育をめざす私立小学校がいくつか残され、今日まで続いていくことになる。
 義務年限延長後の明治43年、高輪の森村家の庭の一角に、南高輪小学校が開校した。現在の森村学園の前身である。
 
関連資料:【文書】私立・諸学校 森村高等女学校
 
関連資料:【くらしと教育編】第3章第1節(1) 公立小学校と私立小学校