この学校の校舎は、児童増加のため校舎が手狭になった赤坂小学校が、明治22年5月、校舎新築工事に取りかかった際、工事中在学児童を教授するため、仮りに建設したものであった。ところが、本校舎が落成するに及び、近くに居住する者は、子弟の通学のために仮校舎を保存することを強く希望した。本校舎まで通学すると、遠い者は片道8丁余り(約870メートル余り)の道のりになるというのが理由であった。
そこで、137名を分校生徒としてそのまま仮校舎に残すこととし、生徒定員を200名と決め、改めて翌23年5月3日、赤坂尋常小学校中之町分校として開校した。児童数137名であった。また、校舎を区画して幼稚園を設置し、赤坂小学校附属幼稚園として同時に開園式を行った。
この日、明治天皇第6皇女常宮殿下は、御遊歩の途次立寄られ、児童一同に菓子を賜った。
分校として発足した中之町小学校は、明治27年4月独立して東京市赤坂区中之町尋常高等小学校となり、幼稚園も中之町小学校の附属となった。「学制」公布以来、赤坂区においては、明治8年設立の青山小学校に次いで3校め、港区地域としては、明治12年設立の芝小学校に次ぐ14校めの公立小学校であった[図1]。
[図1]中之町小学校設置具申書・明治27年(東京都公文書館所蔵)
この後、明治35年3月の芝区における愛宕小学校開校までの間、学齢児は増加していったが、港区地域における新設校の開校はなかった。この時点までに、昭和期に出そろう港区地域内公立小学校のうち約半数が設置され、ほぼ全域にわたる公教育の基礎ができたといってもよい。
関連資料:【文書】幼児教育 中之町幼稚園の名称変更
関連資料:【文書】小学校教育 中之町小学校の尋常科・高等科設置
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第1章第3節 (1)学校を支える地域社会
関連資料:【くらしと教育編】第3章第1節(1) 公立小学校と私立小学校