代用私立小学校の推移[図14]

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 公立小学校に代わるものとしての指定はあっても、当初は補助金はなく、わずかに卒業式及び三大節式典費の補助があるだけであった。継続期間に入ってから、わずかな補助金が給付されるようにはなったが、父兄の負担と寄附金とによって運営されたのである。
 これらの代用私立小学校で、どのような教育が実際に行われたかは明らかではないが、公立に比して内容も程度も十分でなかったことをうかがうことができる。
 私立小学校の教師のための伝習所を通じて、私立小学校教師の質の向上を求めたのも、代用私立小学校が、重要な役割を担っていたからである。資力の乏しい私立小学校は、有資格の教員を採用し難かった。
 明治39年5月以後、各代用私立小学校から補習科設置願が相ついで出されている。修業年限2年とし、午後3時より5時半まで、毎週15時間、となっている。設置の目的として、学力が不足し実用に適さないためと記している。公立小学校のほとんどが高等小学校を併置していたことを考えると、代用私立小学校の学年進行に対応した受入れ態勢での苦心がうかがわれる。授業料はほとんどが30銭であった。
 

[図14]代用小学校継続願指令按・明治30年(東京都公文書館所蔵)

 

[図15]代用小学校の児童数の推移

 明治37年の時点で、港区地域内公立小学校総計17校(他分教場2校)に対し、代用私立小学校は8校、私立学校は23校であった。代用私立小学校の児童数の推移を麻布区に見ると[図15]のとおりである。
 代用私立小学校の児童数は漸減しているが、それまでの間多くの児童が教育を受けていたと考えられ、私立代用小学校の果たした役割の大きさをうかがうことができる。しかし、一方では、私立小学校代用策が公立学校の設立を遅らせた主たる原因であるとする考えもあった。
 
  市ニ於テハ従来代用小学校ハ設備等完然((ママ))ナラサレハ貴重ナル児童ヲ托スルハ不都合ナリトシ将来ニ向テ之カ設備ヲ完然ナラシメントシ代用ニ関スル調査規定ヲ改正セントシ且場合ニ依リ相当補助ヲ与ヘントスル計画アルヨリ先ツ以テ三十年度ハ一ヶ年間従来ノ規定ニ依リ継続セシムルコトトナシ特ニ市訓令ヲ発シ契約期ヲ一ケ年トスルコトトナセリ
   (中略)
  独リ麻布区会ハ市参事会ヨリ発シタル期間ヲ修正シ四ヶ年ト決議シ市参事会モ之ニ対シ施行ヲ命セリ然ルニ代用小学校ヲ現今ノ儘(ママ)四ヶ年間継続セシムルトキハ代用小学校ノ設備ヲ完然ナラシムルノ期ナカルベケレバ本件ニ対シ比際知事ニ於テ相当ノ措置ヲナサゝルベカラスト存候(『東京都公文書館文書』)
 
 このように、代用私立小学校は公立小学校不足を補う役割を果たしながらも市の助成は十分に及ばず、設備、教育内容とも公立に劣り、ここに学ぶ児童は、学齢就学児統計や就学率のうえでは未就学児として扱われた。公立学校の整備が進むにつれ、廃止、統合され、徐々に実質的な就学へと、移行の道をたどるのである。
 明治40年の「小学校令」改正において、「小学校令」第36条の「学齢児童保護者ハ就学セシムヘキ児童ヲ市町村立尋常小学校又ハ之ニ代用スル私立小学校ニ入学セシムヘシ」(以下略)のうちから「又ハ之ニ代用スル私立小学校」が削除された。以後、代用私立小学校が設けられなくなり、6年までの尋常(じんじょう)小学校と2年の高等小学校の就学児全員を収容するための、3区の態勢拡充がせまられることになった。