児童満六歳ヨリ満十四歳ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス 学齢児童ヲ保護スヘキ者ハ其学齢児童ヲシテ尋常小学校ノ教科ヲ卒ラサル間ハ就学セシムルノ義務アルモノトス(第20条)
と規定、学齢を明示するとともに、保護者の就学させる義務を、尋常小学校の教科修了までとし、学齢の中で尋常科(3~4カ年)の学習が終るまでと更に明確にした。教育の普及徹底への本格的な取り組みの意欲がうかがえる。このように就学の義務が強化され、規則や取扱いも厳しくなっていったが、経済情況も配慮され、就学の猶予、免除は続いた。
[図16]白金小学校補習科設置許可上申・明治25年(東京都公文書館所蔵)
更に、公立小学校に代用する私立小学校での修学、家庭等における修学も認められた。尋常小学校への就学は向上したが、経済的理由で就学できない児童にまでは援助の手が伸びず、未就学児童はまだ多かった。 「高等小学校ノ修業年限ハ二箇年三箇年又ハ四箇年トス」とされていたが、義務には含まれていなかったので尋常小学校の3年か4年で教育を終るものも多かった。港区地域の学校ははやくから高等小学校を設置し、高等小学校へ進学する者も増加してきて、ほとんどの公立小学校は、尋常科4年の上に、高等小学校を併置していた。明治25年の芝、麻布、赤坂の3区は相次いで修業年限尋常小学校4年、高等小学校4年を願い出て許可をとり、併設している[注釈12]。当時の東京市立の3区の尋常高等併設の小学校は、芝区は、鞆絵(ともえ)・御田(みた)・桜川・南海・桜田・芝・南桜(前桜田女子)小学校、麻布区は、麻布・南山・飯倉(いいぐら)小学校、赤坂区は、赤坂小学校、青山小学校である(芝区白金小学校は明治30年に高等科併置)。
尋常小学校ノ修業年限ハ三箇年又ハ四箇年トシ高等小学校ノ修業年限ハ二箇年、三箇年又ハ四箇年トス(第8条)
とされ弾力的であったが、港区地域では3区とも各4年ずつとして、教育の充実に努力していた。
尋常小学校と高等小学校は併設されながらも別々の学校として教員人事などが行われていた。明治33年の「小学校令」改正では、
尋常小学校ノ教科ト高等小学校ノ教科トヲ一校ニ併置スルモノヲ尋常高等小学校トス(第2条)
と尋常高等小学校という名称が定められた。
尋常小学校4年、高等小学校4年の体制は、明治40年度まで続いた。その間、就学児童の増加への対応の努力も続いた。明治27年赤坂小学校の分校を中之町尋常高等小学校として独立開校し[注釈13]、明治28年南山小学校の新築落成、青山小学校の分校を女子部とした教育、明治29年芝小学校の新築、移転、明治30年青山小学校の分教場での生活困窮者の子弟の教育の開始、桜川小学校の増改築、明治31年の南桜小学校の増改築などが続き、一方では港区地域の3区で34校もの代用私立小学校に多くの児童の教育を委ね、代用を継続しながら、特に尋常小学校の就学率の向上に対応していたのである。
関連資料:【文書】教育行政 南山尋常高等小学校新築
関連資料:【文書】小学校教育 赤坂区小学校修業年限
関連資料:【文書】小学校教育 麻布区小学校修業年限
関連資料:【文書】小学校教育 芝区小学校修業年限
関連資料:【学校教育関連施設】