義務教育年限の延長

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 明治40年(1907)全国的な就学率の上昇に対応して「小学校令」の改正が行われた。この改正において
 
  尋常小学校ノ修業年限ハ六箇年トス 高等小学校ノ修業年限ハ二箇年トス但シ延長シテ三箇年ト為スコトヲ得(第18条)
 
との規定がなされ、6箇年の義務教育制度が確立したのである。高等小学校は従来の2、3、4年が2~3年となり、大正、昭和を通じて実施されていき、昭和16年(1941)「国民学校令」に
 
  初等科ノ修業年限ハ六年トシ高等科ノ修業年限ハ二年トス(第3条)
 (略)満六歳(略)ヨリ(略)満十四歳ニ達シタル日ノ属スル学年ノ終迄之ヲ国民学校ニ就学セシムルノ義務ヲ負フ(第8条)
 
に継承されるのである。
 明治41年(1908)4月からの新令の実施によって、これまでの4・4制の尋常高等小学校は解消され、高等小学校と尋常小学校となった。旧高等小学校3、4年を新高等小学校1、2年として分離し、これまでの高等小学校2年までを含めて6年までを尋常小学校に受け入れた。この義務の強化による就学率の上昇、人口の激増により、尋常小学校の増設がせまられた。
 港区地域でも、小学校の新設・増学級を急いだが、赤坂区では、明治41年6月氷川町に校舎を新築[注釈14]、代用私立氷川小学校児童を受け入れて氷川尋常小学校を開校、同校に、廃校した私立溜池小学校の児童も収容した。同44年には青山尋常小学校を改築、学級増を図った。
 芝区では明治42年4月、私立高輪中学校の一部を借用して三光(さんこう)尋常小学校と台町尋常小学校を創立し、両校舎の新築を急ぎ、台町小学校は7月、三光小学校は9月新校舎に移転した[注釈15]。さらに同44年4月には聖坂尋常小学校を開設した。
 麻布区では、明治42年6月麻布台南(たいなん)尋常小学校を創立、10月同校を絶江(ぜっこう)尋常小学校と改称、また、同年麻中尋常小学校を創立した。高等小学校の新設と並行して3区が尋常小学校の建設、学級編制や教職員の人事に苦心していた様子がうかがえる。
 
関連資料:【文書】教育行政 氷川尋常小学校建築
関連資料:【文書】教育行政 台町尋常小学校建築
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第3章第1節(1) 「貧民学校」「特殊小学校」