[図17]尋常小学校と高等小学校の教育内容の変化
明治23年以来40年まで続いた尋常小学校4年、高等小学校2、3、4年の体制は、40年の「小学校令」改正によって、一挙に尋常小学校6年と高等小学校2、3年に前進するとともに、教科目も大幅に充実された。
はじめ、尋常小学校4年の基本的な科目は、4~5教科と少なく、その他は地域の事情により極めて弾力的であった。明治33年になると、修身、体操は一貫したが、読書、作文、習字は国語科に統合され、算術が加えられた。高等小学校では読書、作文、習字は国語に統合され、日本地理、外国地理を合わせて地理とし、修身、算術、日本歴史、理科、図画、唱歌、体操、女児のための裁縫の10教科とし、随意科として農業、商業、手工、英語等を加えることができるようにした。
明治41年4月からの6年制の尋常小学校では、修身、国語、算術、体操に、随意科の図画、唱歌、女児には裁縫を正科とし、これまでの高等小学校の日本歴史、地理、理科を加えて10科目とし、教育内容の向上と充実を図っている。新しい高等小学校で、これまでの10教科とともに、手工、農業又は商業のいずれかと英語を随意科として加えることができるようにした。港区地域の3区では、新しい尋常小学校は新しい教則で実施したが、低学年では、修身、国語、算術、体操、唱歌、手工、図画の7教科であった。高等小学校は修業2カ年とし、手工、商業、英語を加えていたようである[注釈16]。
関連資料:【文書】小学校教育 教科目及教授に関する規程