東京市直営学校

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 明治32年10月に出版された平出鏗二郎の『東京風俗志』は次のように述べている。
 
  抑々(そもそも)都下の小学校の授業料の昂れることは、全国に比なく、多きは尋常にして七十銭、高等にして壱円に至る。而(し)かもこれに就かしむるには書籍を要し、筆墨を要す、(中略)夜を徹して労役に就くも獲(え)る所、一月に八・九円に過ぎざるが中に、少くも其幾分の一を其児に資を投じて教育を施すべき余地あらんや。教育するの要を知らずにあらず、これを教育するの途なきを如何(いか)にせん。これを救済するが為めに都下に間々貧民学校の設立あれども、(中略)これに投せしむを恥づ。さりとてまた就学せむるの資もなく、可惜(おしむべし)少年をして無教育に放任せしむる者甚だ多し。
 
 小学校は身分や階級の壁を取除く場でもあった。しかし、生活に追われる地域の子供たちの多くは、学校教育から見放された状態であり、これらの子供たちの教育は、一部篤志家(とくしか)の手による以外は考えられていなかった。
 
  今より六年前、細谷勝清という人が児童を集め、習字読書等を教へ、一時は五十人以上の来学者ありしが間もなく細谷氏死亡し、今は正田匡といへる一老人、児童を集めて寺子屋の如きを開けると、アンデリー教会保護の下に成れる愛隣学舎といへるがあるのみ。正田某のは所謂五厘寺子屋にて、いろは、名頭、消息往来を教ふるに止め、別に今日行はるゝ読書算術の事なく、宛然(えんぜん)旧幕時代の寺子屋を見ると等し。授業料は一日五厘にて当時三十五人の生徒あり。(横山源之助著『日本之下層社会』明治32年)
 
 こうした状況の中で、明治33年10月、東京市議会では、普通教育改善の要件として4項目を挙げ、断行することを建議した。
 第4項は篤志家の手に委ねられていた不就学児の教育について、市が小学校を設置することにより解決しようとしたものであった。時あたかも、大正天皇が東宮であったが、その御成婚の慶事に際し、明治天皇、昭憲皇太后より教育資金8万円を下賜(かし)された。これを基礎とし、東京市が直接経営に当たる特別な小学校が設置されることとなった。この市直営の小学校は、明治35年から45年にかけて10校が設立された。港区地域内では同40年当時の芝浦尋常小学校、同42年絶江尋常小学校の2校であった。
 芝浦尋常小学校は、木造2階建1部平家の校舎で、児童数296、定員は1~4学年とも各140名とし、6学級編制であった。すべて2部教授とし、教員8名であった。
 この学校では児童に対し授業料を免除し、教科書から学用品まで学校から貸与し、時には児童の被服、食料、労働賃金までを補給した。大正15年(1926)まで、市直営学校として続いた。
 これらの市直営学校には後援会も組織され、毎年総収入の10分の1以上を基金として積立利殖することなどを決めていた。
 明治21年(1888)9月3日、麻布区に開校した私立慈育小学校[図20]は、芝・麻布・赤坂の3区内23名の多くの寺院住職が同盟して設立するという特色ある学校であった。
 

[図20]慈育小学校開校届(東京都公文書館所蔵)

 
    私立貧民小学校設置願
  本府下芝麻布赤坂ノ三区内並ニ該近村各宗寺院同盟協議之上一ノ貧民学校設置シ別紙規則之通施行仕度候条御許可之程奉願候也
  創立主意
   本校ハ芝麻布赤坂三区並近村貧民ノ為創立スルノ儀(略)
 
 教場を善福寺内、本堂裏の縦15間横9尺余の細長い部屋を当て、教科用図書、試験規則等は府庁の指定を仰ぎたいと申し出ている。
 入学生徒の学力は初学の者とし、入学生徒の年齢は満6歳以上で、定員250名、教師4名であった。授業料は無く、収入は寄附をもって当てることとしている。ちなみに初年度の寄附金は480円であった。
 その後、代用私立慈育小学校となり、学校幹事に絶江宗育が推された。
 その後、12年の間、代用私立小学校であった。
明治42年6月21日、本村町203番地に台南小学校と改称して児童273名を収容し4学級に編制、同42年10月6日開校式挙行、同時に絶江小学校と改称した。これが港区地域における2番目の、東京市直営の学校である。この学校は、大正15年、麻布区へ移管され、地域の子弟を受け入れるようになり、麻布新堀小学校と改称した。
 生活困窮者の子弟のために設けられた学校は、まだほかにもあった。赤坂区の義立協愛小学校もまた生活の苦しい人々のために創設されたものであったが、明治30年に青山小学校の分教場となった。また赤坂小学校も同年9月、同じ目的をもって分校を開設している。赤坂区は他区に先がけてこれらの学校を公立の中へ組み入れる措置をとっていたといえよう。
 明治の後半、公立学校の増設、増改築による就学児童の増加のなかで経済的に苦しい人々の子弟は、公立学校における授業料の免除も認められ、東京市直営学校の設置で就学が促進され、教育を受けることができるようになってきた。しかし、なお対策として十分ではなく、多くの寺院を中心とする地域住民有志の教育に対する熱意や奉仕に支えられてきたことをうかがうことができるのである。
 
関連資料:【文書】教育行政 小学校授業料
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第3章第1節(1) 「貧民学校」「特殊小学校」