目次
/
第2章 近代教育の進展 ―明治後期の教育―
/
第1節 小学校教育制度の推進
/
第3項 地域の人々の協力
/
(2) 就学促進のための協力
奨学基金
114 ~ 114 / 370ページ
日露戦争の旅順攻略に司令官として出陣し、旅順開城の役を果たした乃木希典は、この戦争で2人の息子を戦死させていた。その2人、勝典と保典は、明治25年(1892)に麻布小学校高等科に入学し、4カ年を経て卒業をしていた。戦争の後、同39年に乃木将軍の意思により体育奨励金が麻布小学校に寄贈された。同校ではその利子を用いて春季身体検査の結果、学業優秀、成績向上顕著、体操科の成績優秀な者を各学級から1名ずつ選び、乃木体育奨励章を授与していた。
また、南山小学校の数多い賞与上申書の中には、亡夫、亡祖母等の遺言によるなどの理由が記され、教育に対する強い関心と期待とを知ることができる。
赤坂小学校では、明治43年、学資金を設け、生活の苦しい人々の子弟の学資金として用いていた。また、市直営の学校として開校していた芝浦小学校に対して、[図28]のような寄附金があり、学用品購入金となったことがわかる。
[図28]寄附に対する賞与案・芝浦学校〔のちの竹芝小学校〕(東京都公文書館所蔵)