戊申詔書による教育

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 小学校では戊申詔書の内容の徹底がはかられていった。教育勅語につぐ重要な詔書として考えられ、祝祭日などの儀式の際には、教育勅語と同様に奉読され、修身などの教科を通して、聖旨を理解させ、暗誦もさせた。後に、卒業記念アルバムのはじめに、教育勅語と戊申詔書を掲げる学校も出てきたほどである。
 明治40年「小学校令」改正による義務年限延長に伴い、校舎改築の必要が生じていた折であった。
 詔書の立場、思想は基本的には教育勅語と同じであるが、特に上下・身分・地位をわきまえ、勤倹貯蓄をすすめるなど、労働対策、思想対策としての意義が示されている。
 戊申詔書に先立ち、明治40年麻布小学校においては児童勤倹貯蓄規定を定めた。日露戦争後の世相に対応しての教育的措置であったのであろう。明治42年、各小学校は戊申詔書謄本を「拝戴(はいたい)」、麻布小学校では、10月13日戊申詔書奉読式を雨天のため各教室にて行ったという。この戊申詔書の「聖意」に基づいた実践として「愛用利用節約展覧会」がある。
 
  此の愛用利用節約の主意は「勤なるもの必ずしも倹ならず、倹なるもの必ず勤を兼ぬ、故に倹を教ふれば、勤自らその中に在り、勤倹両つながら能く之を教ふれば戊申詔書の御趣旨を徹底することを得べし」と、
  イ 愛用とは物品を汚染破損せしめず、大切に使用すること
  ロ 利用とは、他の物品に製作して、利益の用途に充つること
  ハ 節約とは、必要止むべからざるものを少量又は安価品にて間に合はすこと
    殊に時間のむだを出さず又、他人に出さしめず、巧みに有効に用ふること。
   此の趣旨によって、展覧会を開いて、勤倹貯蓄の美徳を修め実行させ、夫創造の力を養ふことに努められました。(『アサナカ記念号』)
 
 教育勅語とともに、戊申詔書が、一般社会に先んじて学校教育の中にいち早く取り上げられていったことをうかがうことができる。