[図29]赤坂区「学級編制変更届」(東京都公文書館所蔵)
[図30]学級編制状況〔上・赤坂高等小学校、下・青山高等小学校〕(東京都公文書館所蔵)
一 全校児童ノ数六十人未満ナルトキハ之ヲ一学級ニ編制スヘシ
二 全校児童ノ数六十人以上百二十人未満ナルトキハ之ヲ二学級ニ編制スヘシ但六十人以上八十人未満ナルトキハ之ヲ一学級ニ編制スルコトヲ得(略)[注釈10]
尋常小学校より1学級の定員数を少なくした理由として、
尋常小学校ニ於テハ教育上ノ便ヲ計ル外経済上ノ事情ヲ酌量スルコト殊ニ必要ナレトモ高等小学校ニ至リテハ市町村ニ於テ設置ノ義務ヲ負フモノニアラサルカ故ニ経済上ノ事情ヲ酌量スルコト尋常小学校ノ如ク甚タ切ナラサルヲ以テ較々多ク教育上ノ便ヲ計リタルニ外ナラサルナリ(略)[注釈11]
と説明している。しかし、実際に規定どおりの学級編制をするためには、教員と教室の確保が必要であり、困難な面もあったようである。赤坂区赤坂・青山両高等小学校は、30年に至ってようやく規定に達したようすがみられる。男女学級を分けるには、全校の女児の数がおよそ40人以上となったとき1学級を組織できると考えられた。
明治41年、分離独立した高等小学校は、これまでの4年間の後半2年分が移行したもので、従前の高等小学校の編制方針が受け継がれた。