諸施設の整備[図36][図37]

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 校舎の老朽化と児童数の増加に伴う教室不足の解消を先決課題とした時代にあっては、その他の施設の整備までは手が届かなかった。
 芝小学校に明治39年赴任した一教師は、
 
  運動具は鉄棒とバスケットボール位、音楽の方では時価十八円のベビーオルガン二台あるだけ、音楽の先生はそのオルガンを各教室へ持ち回って教えたものです。
 
と述べている。諸施設の中では体操場の整備がはやくから行われ、
 
  庭のすみの所に器械体操場があり、下にはだいぶん厚く砂が敷かれていましたので、けがの心配はありませんでした。
 
とも書いている。屋外体操場の他、屋内体操場も設置されていた(『芝小学校沿革誌』)。
 明治37年ごろより、各校沿革誌に施設に関する記事が多く見られるようになる。麻布小学校では同年「運動場に固定円木、平行棒、小鉄棒、植物園」を設け、南山小学校では「植物園を新設し、大いに有効の花卉(かき)を栽培」し「目測基点及び方位標を新設」した。
 翌38年、飯倉小学校では苛性ソーダ洗滌(せんでき)による大消毒が、麻布小学校では校舎清潔法内規作成が行われた。
 同年、麻布小学校では各教室に温度表を掲げ、室温の測定をすることとした。同校ではその前年の12月に
 
  本校職員室の温度は華氏寒暖計を用ひ午後二時を以て之を計る。因(ちな)みに本日迄は新聞報により之を用ひしなり。
 
と記している。また、校庭には、すもう場を作り、「間数メートル比較線鯨尺曲尺比較柱及び里程概表」を設けた。翌年は、風見方角柱を設けた。このときの校長は麻中小学校新設に際し、初代校長となった小沢卯之助であるが、麻中小学校においても
 
  休憩時中遊嬉の間にも、体育運動の助けとなる様なものを、空地至る処に備へ付けた。其の上、常識養成を目的としては、目測歩測のための標示やら、直接筋覚に訴へしむる為めの木片石塊なども置いてあった。
 
 その他室内にも遊具を備えたという。麻布小学校では同40年にも「金朱雀(すざく)十(じゅう)姉(し)妹(まつ)金腹金花鳥等の小鳥を飼養して児童の観察」用としたり、「運動場へ田を設け水草を植付け」「花壇を設け」「運動場に十数種の運動機械を加設」し「格子道、丸太渡」を設け、翌41年には「教室内に額面花瓶等を備付て適当に装飾す」るに至るのである。同年月南山小学校では「金棒、滑台その他の器械体操場に設置し、使用日割を定む」の記事がある。義務教育6年制になるころ、教育設備もようやく整ってきたようすがわかる。
 

[図36]運動場施設一覧平面図・明治41年筓小学校

 

[図37]運動場の遊具の整備・明治41年筓小学校