明治30年代になると、校歌、校章の制定、校旗の新調といった、各校独自の動きがあらわれ、各校内規の制定となっていった。
明治37年、麻布小学校では「遺失物内規」、「職員服装内規」、「児童教室出入敬礼内規」、「教授日程内規」、「肺結核予防内規」、「職員会内規」、「通信簿内規」、「児童出席簿内規」、「児童身体検査内規」、「級長、副級長内規」、「学籍簿内規」、「教室日誌内規」を定め、更に翌38年に「校舎清潔法内規」を加えた。
誠を本とせよ きまりを守れ よく勉めよく学べ
常に快活なれ 誰にも親切にせよ
[図40]校訓・明治40年赤坂小学校
[図41]東京市青山尋常高等小学校一覧目次
南山小学校では、右の校訓を明治37年に定め、同年5月には級長、副級長に関する規定を発表し、実施した。
府指定校の一つとして明治40年に設立された筓小学校は、その創立時に[図42]のような校則を制定した。それは第1編から第7編に至る詳細なもので、当時の校内の状況を推測することができる。
先に各種内規を定めた麻布小学校では、明治42年に訓練綱目及び校訓を定め、更に教育の姿勢を整えていった。
[図42]東京市筓小学校校則目次
このように港区地域の各小学校は明治30年代後半より、校舎、設備の整備と共に教育内容の充実に努め、校内における教育方針の統一と組織的な活動の展開を求め、教育の主義主張を明らかにしていった[図43][図44][図45]。
[図43]筓小学校「児童賞罰規定」(一部)
[図44]筓小学校「運動場施設説明」
[図45]筓小学校「児童管理規程・児童日常心得」
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