奨学方法[図46][図47]

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 児童の進級、卒業は試験によって決定されていた。明治25年(1892)麻布小学校では、この年より6月、9月、12月の三度小試験を行い3月には大試験を行って優等生を決め、賞状などが贈られた。これより前、明治23年青山小学校の記録の
 

[図46]麻布小学校体育奨励証と奨励章

 

[図47]南山小学校優等賞状(麻布小学校所蔵資料)

 
  鋭意革新ヲ図リ生徒ノ学力未熟ノ者ハ毫(ゴウ)モ斟酌(シンシャク)ナク落第セシメ操行不良ノモノハ苟(イヤシク)モ仮借(カシャク)セズシテ懲戒(チョウカイ)ヲ厳ニセシカバ…
 
といった状況もあった。試験によって卒業が認定されるため卒業の期日も一定していなかった。
 明治27年の文部省訓令によって「過度ニ生徒ノ神経ヲ刺戟(シゲキ)スルノ弊アリ」と「試験法」の弊害を指摘され、席順の上下や修了・卒業の認定法は改善されていった。
 明治37年南山小学校の沿革誌に、「級長、副級長ヲオク 級長、副級長ニ関スル規定ヲ実施スル」の記事がある。級長・副級長の選出については、筓(こうがい)小学校では互選となっている。
 
  尋常科第三学年以上各学級ニ級長及ビ副級長ヲ置キ自治及義務ノ精神ヲ養成スルヲ以テ目的トス(筓小学校 本校教育之梗概)
 
「教員命令告知等」を学級全体に伝えることも、級長・副級長の仕事であった。
賞罰規定にあるように、機会をとらえて褒賞(ほうしょう)を与えた。青山小学校では「精勤証書授与心得」として次のように定めている。
 
  第一条 一学年間ノ欠席三日以内ナル児童ニハ精勤証ヲ授与ス
    但シ三日以内ト雖(イエド)モ怠惰(タイダ)ニシテ精勤ノ実跡(セキ(ママ))ナキモノニハ与ヘザルコトアルベシ
  第二条 学術操行優等ノモノハ三日以上五日以内欠席スルモ特別ノ詮議ヲ以テ授与スルコトアルベシ
  第三条 遅参早引ハ各五回ヲ以テ一日ノ欠席ト見做(ナ)シ通算スベシ
  (第四条略)
 
 褒賞の中でも、もっとも晴れがましいのは、卒業時の優等であった。
 
  卒業式の時は男子が答辞を読み、女子は私が御挨拶することになり、竹川先生に、お辞儀の仕方など何度もおけいこして頂きました。(『青南小学校記念誌』)
 
 市内の各小学校優等生は、知事と共に写真を撮り、新聞紙上に氏名を公表されたという。
[図48]のような、一般の人々よりの奨学金の寄附の記録が、各学校の沿革誌に多く見られる。
 

[図48]寄附記録(飯倉小学校)