同窓会の結成

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 「第一回同窓会」の記事が見られるのは、明治21年の赤坂小学校の沿革誌である。同年麻布小学校においては卒業生数十名が集まり、恩師を交えて吐情会なるものを開いた。
 
  共に同一学窓に教を開き道を求め切瑳(せっさ)之務め、相依りて悲喜憂楽を共にし深き友情を以て互に相結ばるゝものは、時来りて其の希望する所に従ひて、諸方面に散ずると雖(いえど)も往時を追懐思慕するの情は又禁じ難し、即ち明治二十一年の春三月二十日春季皇霊祭の事なりき。(『麻布小学校沿革誌』)
 
 これが、麻布小学校同窓会の初めであった。明治23年6月に女子部同窓会が開かれ、それ以後1年に3、4回小規模な同窓会が開かれた。明治25年11月に大会が開かれ、初めて「会則大綱の如きもの」を制定した。その中で、開会度数を1年4回とし、春秋2季(4月、10月)を大会とし、夏冬2季(1月、7月)を小会として、大会には会費10銭、小会には5銭を徴集、余興を催すことを決めた。
 同31年10月の秋季同窓会には、北白川宮恒久王の臨場があり、来会者は百数十名であったという。その翌年のようすが次のように報じられている。
 
  正門には国旗を交叉(さ)し、万国旗を八方に張り、捧銃兵士の鬼人形先ず来会者をして階に上らざるに笑ましむ。緑門は気候柄として千色万花を以て作られ其美云ふべからず。玄関には接待掛の少年数名懇勤来会者を迎へ一々休憩所に導く等非常に整頓せり。朝来より四方の会員続々として来たり、広庭に充ち門前馬車の混雑又以て此会の盛なるを証するに足る。午前十一時点鐘先ず式場の戸を開き、正十二時少年音楽隊の音楽と共に開会式を行ふ。(略)
 
 北白川宮恒久王は麻布小学校に1年間在学されたのである。これ以後35年春の大会に至るまで、春秋2季の大会にはほとんど毎回御臨席をいただいたようである。
 後に麻布小学校に合併される麻中小学校は、明治44年に同窓会発会式を挙げた。同窓会の事業として、会員の演説、討論談話、運動旅行、名士の講演等を規定した。余興としては、詩吟、飛入、手風琴などがあった。総会は春1回とされた。
 青山小学校では、卒業生組織を学友会と称し、
 
  時ノ校長桜井光華ノ十五年以上勤続ノ祝賀会ヲ催シ同会ヨリ其功労称揚シテ金品ヲ同人ニ贈リタリ。
 
という記録がある。
 この青山小学校では、家庭と学校との連絡の中の一つとして同窓会をあげ、毎年1回これを開くこととしていた。桜井校長は、麻布教育会の講習所での教育学講義に、他区より参加していた熱心な聴講生の1人であった。