遊びのようす

203 ~ 204 / 370ページ
 きびしいきまりばかりの学校生活の中にも、楽しみがあった。
 
  雨が降って体操の出来ない時、我等の人気の中心であった小島先生(副校長)が、おとぎ話をして下さるのだ、雨が降るとあこがれの小島先生が教室にあらわれ、ワッと喊(かん)声をあげたものだ。(『桜川小学校記念誌』)
 
 「小学校設備準則」は、明治24年に定められたが、その当時児童増加に対応する拡充に追われていた学校は、遊具の設置までは、とうてい及ばぬ所であった。
 
  遊具はなくても、教室の廊下が高いのでおにごっこなどして楽しんだり、学校の隣りはむかし有名な服部時計店の屋敷で、亜鉛張りの高さ六尺ぐらいの塀に乗って、椎の実をみんなで取って遊んだりした。(『桜川小学校記念誌』)
 
 学校へ通学する道にも楽しみがあった。
 
  特に神明前から三島町へかけての商店街に絵草紙やと人形店が私の心を強烈にとらえる。―木版刷の錦絵を店頭に張った紐に竹製の洗濯ばさみのような物で挟んで、ぶら下げてある。十日毎に新しいのと取り換える。「胸をワクワクさせ」てそれらに見とれた。(『桜川小学校記念誌』)
 
 校舎の整備も一応終わり、校庭にも、さまざまな遊具や観察用教材がそろえられるようになるのは、明治40年ごろからである[図58]。
 

[図58]休み時間の様子・明治44年麻布小学校