この省令について
小学校長ハ内ハ校務ヲ整理シ教員ヲ監督シ外ハ其学校事業ノ挙否ヨリ施キテ其土地教育ノ得失ニ至ルマテ其責ニ帰スヘキモノ多シ其任タル重クシテ且大ナリト謂(イ)フヘシ[注釈8]
と説明した。また准教員は正教員と同一の責任を持つものとしている。教員が商業を営むことが許されないのは、一般官吏と同じ規定である。この服務規則と同時に「市町村立小学校長及教員懲戒処分並私立小学校長及教員業務停止及免許状褫奪(チダツ)ニ関スル規則」も定めた。各学校は、この細則によって教員の服務の管理をしていった。
[図9]教員の職務と服務の規則・明治25年東京府(東京都公文書館所蔵)
[図10]小学校教員取締の訓令・明治28年東京府(東京都公文書館所蔵)
授業料収入が小学校費の主要財源とされたために起こる教員の低給料の問題と共に教育費国庫補助問題が表面化した。そして、広範囲な政治的な活動が始められた。教員の参加もあり明治26年にはいわゆる箝口(かんこう)訓令が出された。教員に対するその他の取締りの内訓も出された。
校内内規として教員服務に関するものは、明治33年、南山小学校の女子教員の服装に関するものと、同37年、麻布小学校の職員服務内規を定めたとの記録とがある。細則が残されているのは、明治40年代に入ってからである[注釈9]。
関連資料:【文書】教職員 青山小学校教員の服務