東京府教育会[図24]

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 教育の改良進歩を目的とした有志の協議会が明治16年(1883)に開かれ、東京府教育談会と命名し5カ年後、東京府教育会は誕生した。
 東京府教育会と改称したのを契機として各種の事業が始められた。その第一に幼稚園保母講習所がある[注釈18]。
 幼稚園保母講習所は、幼稚園の開設が多くなってきた中での保母不足に対応するものとして、明治21年10月7日、芝公園内、芝麻布共立幼稚園において開所式を行った。これは、東京府教育会における教員養成事業の最初のものであった。
 講習員となれる者は、幼稚園の保母もしくは小学校教員、授業生の職にある者、あるいは、年齢18歳以上40歳以下で、相当の学力の有る者とされた。授業料は1カ月50銭である。
 開所当時の講習員は14名、以後毎年1回入所生徒募集と卒業式を行い、毎回10名から20名の修了生を出した。
 幼稚園保母講習所開所の翌年、明治22年1月、小学校教員速成伝習所設置を決め、直ちに実行に着手、同年3月、京橋区木挽町東京商工会議所内で開所式を挙げた[注釈19]。

[図24]教育会についての記録・明治32年(東京都公文書館所蔵)

東京府教育会は、府内郡区の連合教育会を開き、学校教育・社会教育にわたって様々な活動を展開した。この活動は東京府当局にも高く評価され、補助金も出されて、その事業が奨励された。港区地域では、麻布区、芝区の教育会が参加していたようである。


 
 開所当時の入学生は64名で、第1回卒業式で卒業証明書の授与を受けたのはその中の19名であった。その後毎年12月には保母講習所と共に卒業生を出して、不足していた小学校教員の補充の役を果たした。
 明治23年6月、裁縫伝習所設立を議定した。
 明治28年8月、一時休止していた幼稚園保母講習所は規則を改正して再び入所志願者を募り開所したのである[注釈20]。
 これら伝習所のほかに、大きな事業の一つとして教育品展覧会を開催した。これは、小学校教育を奨励すると共に一般の人々に教育の価値を知らせることを目的としたもので、明治22年1月に規則を定めた。
 この展覧会に関する記録は、各校沿革誌に見ることができる[図25]。
 

[図25]小学校教育展覧会参加・明治22年青山小学校

 「東京府聯合(れんごう)教育会」は、東京府教育会及びその他の教育会が加盟して開かれ、第11回連合教育会には、府教育会のほかに、2、3教育会の加盟があった。この中には、麻布教育会も含まれている。教育会の諸事業の実績は府からも認められその建議は尊重された。
 
関連資料:【文書】小学校教育 展覧会