[図5]青山小学校附属幼稚園設置具申・明治28年(東京都公文書館所蔵)
園舎は、赤坂区青山南町3丁目22番地、青山尋常高等小学校内に設けられた。49坪の庭と、それぞれ18・8坪の開誘(かいゆう)室と遊戯室が1室のこじんまりとした幼稚園であった。
幼児定員は、30名を1学級とし、保母1名でその保育にあたった。
保育時間は、午前9時から午後2時までを基本としている。これは中之町幼稚園よりもやや長時間である。
保育料は、「一ヶ月三十銭以上一円以下」としているが、「三十銭」というのは、公立としては、かなり安かったようであり、4年後の明治32年3月には「五十銭以上、一円以下」に改定する旨が申し出されている。
当園の保育内容については、その保育課程表などが残されているが、そのほとんどが先に設置された中之町幼稚園と同じようなものである。ここでは、残された資料の保育用器具表から当時の幼稚園での、園具、用具の様子を摘記してみる。
一 幼児用机 二十個 一 同腰掛 二十個 一 塗板 一枚 一 保母用机 一個
一 同椅子 一個 一 積木 三十 一 排箸 三十 一 排板 三十
一 鋏 三十 一 組板 三十
机、椅子のほかは、定員30名に見合う数が用意されている。
青山幼稚園は、その後、明治33年、青山小学校の一部が火災にあったため、一時、青山北町4丁目46番地にあった高徳寺内に移転した。当時の園舎、園庭の図面が残されているが、わりあいに広い運動場を持ち、園児ののびのびとした活動の様子がうかがわれる。
しかし、この仮住いは長続きせず、当園は、明治36年11月に、小学校の児童数増加のため、幼稚園の収容が不可能との理由で廃園となった。しかし、入園希望者が多かったことから、小学校の東隣の地に、私立幼稚園をたて、一時は、青山小学校長が管理をした。私立青山幼稚園がこれである[注釈4]。
関連資料:【文書】教職員 青山幼稚園保母の任用・兼務
関連資料:【学校教育関連施設】