[図11]榎坂幼稚園保育課程表・明治20年(東京都公文書館所蔵)
第一恩物 六球法
第二恩物 三体法
第三恩物 第一積体法
第四恩物 第二積体法
第五恩物 第三積体法
第六恩物 第四積体法
第七恩物 置板法
第八恩物 置箸法
第九恩物 置鎧法
第十恩物 図画法
第十一恩物 刺紙法
第十二恩物 繍紙法
第十三恩物 剪紙法
第十四恩物 織紙法
第十五恩物 組板法
第十六恩物 連板法
第十七恩物 組紙法
第十八恩物 摺紙法
第十九恩物 豆工法
第二十恩物 模型法
このほかには、「球遊」、「貝遊」、「計数」、「耕作」、「理解」、「唱歌」、「音楽」、「説話」、「体操」、「遊嬉」などがあった。
これらの科目は、実践を重ねるにつれ、幼児の実態に合わないものがけずられたり、更に必要なものが加わったりし、少しずつ変化をしていったようである。例えば、難解な第一恩物の「五彩球ノ遊ヒ」や第二恩物の「三形物ノ理解」は早く姿を消し、明治17年(1884)での同園の規則改正では、次のような20の「課」となっている。
「会集」「修身ノ話」「庶物ノ話」「木ノ積立テ」「板排(ナラ)へ」「箸(ハシ)排へ」「鐶(ワ)排へ」「豆細工」「珠聚(アツ)メ」「紙織リ」「紙摺(タタ)ミ」「紙刺シ」「縫取リ」「紙剪(キ)リ」「画キ方」「数へ方」「読ミ方」「書キ方」「唱歌」「遊嬉」などであり、「保育ノ時間ハ修身ノ話、庶物ノ話、唱歌、遊嬉ヲ各二十分トシ他ノ課ヲ各三十分トス」との定めがあった。
これらの科目を実際の保育では、ほぼ次のような日程で行っていた。
登園。整列。遊戯室―唱歌。開誘(かいゆう)室―修身話か庶物語。戸外あそび。
整列。開誘室―恩物。遊戯室―遊戯か体操。昼食。戸外あそび。開誘室―恩物。帰宅。
それぞれのものに費やす時間は、だいたい20分から30分くらいをあて、その間は鐘によって合図をしていたようである。
このような保育の方法は、明治後期に入っても続いていた。(文部省『幼稚園百年史』)[注釈7]
港区地域においても、やはり、この女子師範学校附属幼稚園での教育内容をとり入れての保育を行っていたようである。特に、芝麻布共立幼稚園には、附属幼稚園での初代保母であった近藤濱が園長兼保母として名を連ねており、そこでの直伝ともいえる保育を展開していたことがうかがわれる。近藤濱は、実際の保育の中で、教材教具などにも心を配り、豆細工に細丸木のかわりにひごを用いるようにしたり、保育に必要な唱歌なども作ったりしていた。また、後述する保母養成にも力をつくしているなど、明治前期の幼児教育、本区の幼児教育の基礎作りに多大な貢献をしている。
このように、明治前期の幼稚園教育は、フレーベル主義の教育、中でも特に恩物によるものが主となって行われていた。しかし、その恩物の使用は、フレーベルの教育思想を十分に理解した上での使用とはならず、恩物を単なる手技として形式的に幼児に与える傾向が強かった。当然のことながら、教育現場の幼児の活動への取り組みの中で、無理が生じ、恩物中心の教育は、少しずつ形をかえていった。
明治32年、就学前教育についての骨格を明確にした初めての法令ともいえる「幼稚園保育及設備規程」が制定された。
ここでは、幼稚園教育の対象年齢、1日の保育時間、1学級の人数、1園の望ましい規模、設備等の基本的な規程ばかりではなく、保育の目的や、その内容に至るまでが示されており、その後の幼稚園教育の性格を明確にした点で重要な法令となった。
これに示された保育の項目を見ると、遊嬉、唱歌、談話、手技の4項目になっている。それまでの恩物は、手技の中に含め、それをあえて最後の項目に位置づけていることは、明治後半に至って、外国からの直輸入であった幼稚園教育からの脱皮が始まったことを感じさせる。
幼稚園保育及設備規程
第一条 幼稚園ハ満三年ヨリ小学校ニ就学スルマデノ幼児ヲ保育スル所トス
第二条 保育ノ時数(食事時間ヲ含ム)ハ一日五時以内トス
第三条 保母一人ノ保育スル幼児ノ数ハ四十人以内トス
第四条 一幼稚園ノ幼児数ハ百人以内トス特別ノ事情アルトキハ百五十人マデ増加スルコトヲ得
第五条 保育ノ要旨ハ左ノ如シ
一 幼児ヲ保育スルニハ其心身ヲシテ健全ナル発育ヲ遂ケ善良ナル習慣ヲ得シメ以テ家庭教育ヲ補ハンコトヲ要ス
二 保育ノ方法ハ幼児ノ心身発育ノ度ニ適応セシムヘク其会得シ難キ事物ヲ授ケ或ハ過度ノ業ヲ為サシメ又ハ之ヲ強要シテ就業セシムヘカラス
三 常ニ幼児ノ心性及行儀ニ注意シテ之ヲ正シクセシメンコトヲ要ス
四 幼児ハ極メテ模倣(モホウ)ヲ好ムモノナレハ常ニ善良ナル事例ヲ示サンコトニ注意スヘシ
第六条 幼児保育ノ項目ハ遊嬉、唱歌、談話及手技トシ左ノ諸項ニ依ルヘシ
一 遊嬉(キ)
遊嬉ハ随意遊嬉、共同遊嬉ノ二トシ随意遊嬉ハ幼児ヲシテ各自ニ運動セシメ共同遊嬉ハ歌曲ニ合ヘル諸種ノ運動等ヲナサシメ心情ヲ快活ニシ身体ヲ健全ナラシム
二 唱歌
唱歌ハ平易ナル歌曲ヲ歌ハシメ聴器、発声器及呼吸器ヲ練習シテ其発育ヲ助ケ心情ヲ快活純美ナラシメ徳性涵(カン)養ノ資トス
三 談話
談話ハ有益ニシテ興味アル事実及寓言通常ノ天然物及人工物等ニ就キテ之ヲナシ徳性ヲ涵養シ観察注意ノ力ヲ養ヒ兼テ発音ヲ正シクシ言語ヲ練習セシム
四 手技
手技ハ幼稚園恩物ヲ用ヒテ手及眼ヲ練習シ心意発育ノ資トス
第七条 幼稚園ノ設備ハ左ノ要項ニ依ルヘシ
一 建物ハ平屋造トシ保育室、遊嬉室、職員室其他須要ナル諸室ヲ備フヘシ
保育室ノ大サハ幼児四人ニ就キ一坪ヨリ小ナルベカラズ
二 遊園ハ幼児一人ニツキ一坪ヨリ小ナルベカラズ
三 恩物、絵画、遊嬉道具、楽器、黒板、机腰掛、時計、寒暖計、煖房器其他須要ナル器具ヲ備フヘシ
四 敷地、飲料水及採光窓ニ関シテハ小学校ノ例ニ依ルベシ
保育の方法についても、幼児の心身の発達を重視し、難しいものを強要させないように指示している。特に第一の項目にあげた遊嬉では随意遊嬉と、共同遊嬉との二つがあげられている点が注目に値する。随意遊嬉は、幼児が自由に遊んだり運動する場であり、現在の自由遊びにあたるもので、その教育的意義が認められたことが、その後の大正時代の子供が自ら生活する力を大切にしていく保育観へとつながったものともいえよう。
港区地域でも明治32年のこの規程を受け、それまでの保育課程を修正している。同年8月29日付で提出された芝麻布共立幼稚園課程表[図12]から、そのことをうかがい知ることができる。
[図12]芝麻布共立幼稚園課程表(部分)・明治32年 (東京都公文書館所蔵)
関連資料:【文書】幼児教育 私立榎坂幼稚園の設置
関連資料:【文書】幼児教育 芝麻布共立幼稚園