工業補習夜学校[図1][図2]

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 東京市立工業補習夜学校は、明治後期の港区地域における、唯一の公立の実業補習学校であった[注釈2][注釈3]。明治39年6月芝区三田四国町2、市立芝尋常(じんじょう)高等小学校内に設置された。定員は、本科100名、専修科若干名であった。本所区の府立職工学校・同附属工業補習夜学校、府立工芸学校附属補習学校、八王子の府立織染学校の同附属工業補習夜学校とともに、工業関係の公立学校として、貴重な存在であった。
 日清・日露の戦役を経て、芝浦地域の工業地域化はめざましく、「実業補習学校規程」によって、関係校は地域を選んで開設された。工業が盛んになるにつれて、工場で働く青少年や工場で働こうとする青少年に、工業従事者として必要な知識技能を授け普通教育内容の補習をめざしていたのである。専修科に進んで、機械、建築、電気、化学、図案その他工業に関する内容や実技等を習得させ、発展を続ける工業の質の高い働き手を養成しようとしていた。
 

[図1]工業補習夜学校設置認可申請(東京都公文書館所蔵)

 

[図2]工業補習夜学校規則(東京都公文書館所蔵)

 授業料は1カ月15銭で、当時としては低額であった。夜学校として、勤労青少年が、芝小学校の校舎、施設、器具などを共用して学習できるようにしたのである。