補習科の修学年限は3年以内と定められた。教科目はその土地によって選択の幅が大きく認められてはいたが、修身だけは随意科目とすることはできなかった。その理由としては、教科目の中で最も重要なものであり「実ニ多年ノ間訓育陶冶怠ルコトナキヲ要スル」ばかりでなく、補習科で学ぶ者は「年齢稍(ヤヤ)長シ動(ヤヤ)モスレハ放恣(ホウシ)ニ流レ易キノ時期ニアル」ので、特に道徳実践の方法を指示して、効果をあげることが必要であるという考えからであった。また、身体的な事情のある児童の場合も考慮し、唱歌、体操等について、これを課すことでいたずらに苦しめることのないよう求められていた。
産業が発展し、生活の変化する中で、地域の産業の働き手として必要な学力や技能を向上させ、近代産業社会への適応を図っていったのである。