■明治学院普通学部

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 明治20年、専門部、普通学部が白金に移ってきた。この20年代後半にはいって、普通学部は生徒数が減った。少しでも入学者を多くし、教育をさかんにするためには、正式に尋常中学校としての認可を受け、公立の尋常中学校と同等の資格を獲得することが必要であった。そこで、学則を整えて出願し、明治31年、明治学院普通学部は「中学校令」による尋常中学部となった。
 明治学院尋常中学部が尋常中学校となることによって得た特典は、第一に上級学校への進学資格であり、第二には徴兵猶予であった。このことにより公立の尋常中学校とまったく対等の地位を得たのであったが、同32年8月の「文部省訓令12号」の発令により、再び窮地に追い込まれたのであった[注釈4]。
 このため、上級学校への進学資格と徴兵猶予の特典を失い、在校生の中に将来の進路にかかわる不安が生じた。そのようすは、明治30年入学者8名のうち5名が、また、翌31年入学者16名中10名が転退学者となっていることでも推測できる。
 訓令発令後、在学中適齢に達し、徴兵検査に合格した者は退学せざるを得なくなった。明治33年3月の卒業生はわずか3名であった。
 この後、普通学部に中学校と同様の資格を獲得するため、文部省との折衝(せっしょう)を重ね、同33年7月には徴兵猶予を、翌34年には上級学校との連絡がとれるまでになった。更に、同36年専門学校無試験検定校として指定され、これを契機として、高等学校についても進学の道が開かれ、同37年1月、公立中学校とまったく同等の資格を得るに至った。明治37年における普通学部生徒数は、1年級から5年級まで合計136人であった(『明治学院百年史』)。
 
関連資料:【文書】私立・諸学校 明治学院