創立者が基督(キリスト)教信者になった感謝の気持ちから始められたこの女学校は、その設立願書提出の際に「専ラ新旧両約聖書ニ基ツキ」の文字を削られながら、讃美歌の合唱に始まり、聖書の暗唱が続くといった、かなり徹底したキリスト教教育がなされていた。生徒数は、明治23年には25人だった。入学資格は尋常小学校卒業程度、学費は1円である。
法的には各種学校であった当校も、反キリスト教的風潮の影響を受けた。これを乗りきるため、教師陣の充実につとめていったが、それと同時にキリスト教的色彩は次第に薄れていった。
明治26年当時の頌栄女学校の学制は、尋常小学校卒業以上の者が2年制の予科に、予科卒業生と高等小学校卒業生が3年制の本科に入るという5年制のもので、一般の尋常中学校の3年と同程度で卒業という形になる。この時の学費は入学料1円、月謝1円、校費月20銭、寄宿舎費は月3円であった。随意学科として、琴、オルガン、茶礼があった。
義務教育年限延長に伴う「高等女学校令」の改正が明治41年にされたとき、頌栄女学校もこれに従って予科を廃し、予科4年、本科3年を本科5年制に変更した。形の上では、いつでも高等女学校に転換できるようにしたのである(『頌栄女子学院百年史』)。
関連資料:【文書】私立・諸学校 頌栄女学校