また、初めから週5日制をとるなど、異色であった。
明治23年東洋英和女学校と同様、生徒間に慈善奉仕活動を主とする「王女会」が発足した。
明治25年から30年の間に学則を改正し、予科4年、本科3年とし、同35年には、予科2年、本科5年、翌年更に本科の上に高等科をおいた。明治40年、高等女学校の規定により、予科を廃して本科5年とし、高等科を2年として、高等女学校としていつでも対応できる体制を整えていった。明治45年3月、4年制の高等女学校と同等以上の学力を有するものとして認められ、文部大臣指定学校となった(『普連土学園創立九十周年記念写真集』)。
[図4]普連土女学校・明治36年
関連資料:【文書】私立・諸学校 普連土女学校