■高輪中学校

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 明治33年9月、芝区高輪に移転してきた仏教高等中学は、西本願寺を本山とした大学林、文学寮が改編されて開校したものであった。翌34年4月には、京都にあった模範仏教中学、仏教大学分教場も高輪の同所に設置され、一大総合学園となったのである。当時の仏教界には、一派の最高学府を首府東京におくべきとする主張が盛んであったという。日露戦争開戦後まもなく、高輪仏教大学は宗派内の内部抗争の結果廃校となり、京都の仏教専門大学に併合されたが、第一仏教中学はそのまま授業を継続することとなった。
 明治39年4月、高輪中学校として認可を受け、従来の仏教との関係から離れ、普通課程の中学校として独立したのである。芝中学校の場合と同様、明治32年8月に公布された「私立学校令」の影響によるものである。明治45年の生徒数は441名であった(『高輪学園百年史』)。
 
関連資料:【文書】私立・諸学校 私立模範仏教中学