実業学校

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 継続発展した実業学校としては、慶応義塾商業学校、麻布獣医学校、大倉商業学校があげられる。
 
■慶応義塾商業学校[図8]
 明治24年(1891)設置された当初から商業夜学校とも呼ばれた。これは、商家の徒弟や商業に志す者で昼間修学できない者のために、夜間授業をし、短期間に必要な学科を学ばせることが目的であった。当塾の生徒に対しても、習字、そろばん、簿記の技能を短期間に習得させて、就職の便宜にも備えた。当時は、土曜日を除く毎夜3時間授業で、1年で全科を修了するしくみであった。
 明治30年に学科課程を改め、修学年限を2年にした。更に、同34年、土曜日も授業日に加え、随意科として「中国語」を置いたが、これは同36年に廃止となった。同年英語専修科として英会話を、随意科としてタイプライティングを加えた。また、同44年には、新たに珠算、簿記、商用英語の専修科を置き、修業年限を6カ月とした。
 

[図8]慶応義塾商業学校学科課程

 
■麻布獣医学校
 東京獣医講習所として、明治23年9月本村町私立慈育小学校内に設立された。同27年、麻布獣医学校と改称し、学則を改めて農商務省の認可を受け、同28年麻布新堀町に新築移転、同38年1月、「実業学校令」に準拠して文部省の認可を得た。同41年、校舎を改築し、附属家畜病院を拡張して畜産実習所を設け、同44年、畜産学に関する学科を増設して麻布獣医畜産学校と改称した(都史紀要『東京の理科系大学』)。
 
■大倉商業学校
 明治31年、財団法人大倉商業学校が認可され、赤坂葵町に校舎が建築され、設立認可されたのは、同33年7月のことであった。東京における文部省認可第1号の甲種商業学校であった。
 当時の実業学校の多くが地域経済の振興を目的として設立されたのに対し、当校は国内はいうに及ばず海外の商業にまで飛躍させようというものであった。明治34年「現ニ商工業ニ従事シ、昼間修学シ難キ者ノ為メニ」夜学専修科が設けられた。尋常小学校卒業者が入学資格者であった(『東京経済大学八十年史』)。
 
関連資料:【文書】私立・諸学校 麻布獣医学校