明治22年(1889)2月11日、紀元節(きげんせつ)の日を選んで「憲法」発布の式典が宮中で行われた。議案は一切会場外に持ち出すことは禁じられていたので、この日初めて国民の前に示されたものであった。
「憲法」発布の祝いは町々で盛大に行われた。
この祝典の日の朝、文部大臣森有礼が、宮中の「憲法」発布祝賀の式典へ向かおうとしたところを、保守的な刺客に襲われ暗殺されるという事件があった。「憲法」を起草、発布に関係した人々と一般社会の人々との間の距離は大きかったようである。
「憲法」発布と政治的関心