明治後期の社会の人々に、文化的、思想的啓蒙(けいもう)を促したものの中に、新聞、図書、雑誌とともに、演説会や演劇などがあった。学校における教育勅語を中心とする修身教育は徹底していたが、勤労青少年や成人などの一般社会の人々に対する教育行政的施策はたちおくれていた。その中で、図書館の教育的なはたらきは、早くから着目されていた。明治20年代から30年代の社会教育の整備は、図書館行政と施設の普及から力が注がれた。
明治23年(1890)の「小学校令」改正の際に、図書館は「小学校令」の中に規定された。
そして、設置と共に廃止その他について「小学校令」の条項が適用されることになった。図書館の名称が法令上にあらわされたのは、この「小学校令」の時からである。
このように、「小学校令」の一部によって、図書館の設置、運営に関しての指示を受けるようになったが、図書館の経営と学校のそれとは著しく異なるため、別個に規程をもつことが必要であった。明治32年11月「図書館令」が公布された。社会教育施設が独立の法令をもって確立し、社会教育行政は「図書館令」の公布をもって新しい段階を迎えた。
第一条 北海道府県郡市町村[北海道及沖縄等ノ区ヲ含ム]ニ於テハ図書ヲ蒐(シュウ)集シ公衆ノ閲覧ニ供セムカ為図書館ヲ設置スルコトヲ得
第三条 私人ハ本令ノ規定ニ依リ図書館ヲ設置スルコトヲ得
第四条 図書館ハ公立学校又ハ私立学校ニ附設スルコトヲ得
更に、設置に当たって、公立図書館は文部大臣の認可を得ることが規定されて、中央統轄の方針が明示された。この「図書館令」公布後、図書館の開設は増加していくのであるが、港区地域における公立図書館の開設は、明治44年を待たなければならない。
その後、明治39年図書館に関する規程、同43年6月「図書館令施行規則」の公布があり、制度が充実された。