簡易図書館の開設

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 明治37年3月の東京市会で、一般公衆の幸福と教育のために「通俗図書館」の建設を決議した。
 まず、明治41年11月に日比谷図書館が開館し、次いで同42年9月に深川図書館が開館した。その後も各区に図書館を設立する予定であったが、種々の事情により図書館計画は大きな変更を余儀なくされ、それ以後は市立小学校舎の一部を利用し、閲覧料無料の簡易図書館を開設することとなった[注釈1]。これは大正10年(1921)の麹町図書館開設まで続き、18館の開設をみた。港区地域の3区もこの時期に1館ずつ開設している。
 
■東京市立三田簡易図書館[注釈2]
 明治44年(1911)6月、通新町の御田(みた)高等小学校内に併設された(昭和20年戦災・廃館)。
 
■東京市立麻布簡易図書館
 明治44年南山尋常(じんじょう)小学校内に設置された。同校の沿革誌によると次のとおりである。
 
  明治四十四年四月十一日 本校内ニ本区市立簡易図書館設置ノ件ニ付 本市教育委員桜井直紀氏並ニ松井本
 区学事主任書記来林((ママ))調査ス
 明治四十四年五月 屋内体操場側ニ図書館書庫ヲ新設ス
 明治四十四年十月十五日 本区市立簡易図書館設備完了シ開館式ヲ挙行ス
 
 南山小学校長を主幹とし、同年10月17日より「公衆」の閲覧を開始した。現在の麻布図書館の前身である。
 三田、麻布の両簡易図書館は、神田、四谷、本所と共に併記して設置認可申請が出されている。その申請書の中で次のような館則を設けている。
 
    東京市立簡易図書館々則
  第一条 本館ハ通俗ノ図書ヲ蒐集シ簡易ニ公衆ノ閲覧ニ供スルヲ以テ目的トス
  第二条 図書ノ閲覧時間ハ左ノ如シ 但シ土地ノ状況其他時宜ニヨリ伸縮スルコトアルヘシ
   自四月 一日
   至九月三十日 午後二時半ヨリ八時迄
    日曜日、大祭日、小学校夏期休業日、午前八時ヨリ午後八時迄
   自十月 一日
   至三月三十日 午後三時半ヨリ八時迄
    日曜日、大祭日ハ午前九時ヨリ午後八時迄
  第三条 定期閉館日ハ左ノ如シ 但シ臨時閉館日ハ其都度之ヲ定ム
   歳首 自一月一日至一月五日 紀元節 二月十一日
   館内掃除日 毎月十四日 曝書(バクショ)期 八、九月中凡五日間
   市役所開庁日 十月一日 天長節 十一月三日
   歳末 自十二月二十七日至同三十一日
  第四条 七歳未満ノ児童ニ対シテハ図書ノ閲覧ヲ許サス
  第五条 図書閲覧料ハ之ヲ徴収セス  (以下略)
 
 館則は8条から成っている。維持はすべて市費によって賄(まかな)われ、1カ所の予算は平均1393円としている。
 
■東京市立赤坂簡易図書館
 明治45年5月に氷川尋常小学校内に設置された。同年7月15日に開館式を挙行し、一般に公開した。現在の赤坂図書館の前身である[注釈3]。
 これら公立図書館のほか、私立の図書館として南葵(なんき)文庫が麻布区内に、また、慶応義塾図書館が芝区内に開設された。
 
■南葵文庫[図2]
 明治29年徳川頼倫(よりみち)侯爵が外遊した折、海外の図書館施設を見て、大いに感じる所があり、帰国後、直ちに蔵書2万冊余りを整理して書庫閲覧室を設けて、同35年に開館したものである。当初は特殊の有志の人だけに利用させていたが、書庫、閲覧室、事務室等の増築を行った後、同41年10月10日から一般にも公開した。また、毎月講演会等も開催した。文庫開設者の徳川頼倫侯は、史跡名勝天然記念物の保存を熱心に唱えた人でもあった。この南葵文庫跡地は、現在麻布小学校になっている。
 

[図2]南葵文庫・明治41年

 
■慶応義塾図書館
 明治40年に慶応義塾創立50周年記念事業の一つとして建設計画がたてられた。定礎は明治42年11月、完成は明治45年4月である。当初の規模は総坪数208・7坪(約630平方メートル)と附属建物6坪(約18平方メートル)で本館と書庫からなっている。当時、公共の帝国図書館に次ぐ大図書館で、外観は赤煉瓦(れんが)と花崗岩(かこうがん)を使用したイギリス風のゴシック建築である。開館当初より一般人の入館を許したというが正式には大正元年(1912)からである。当時の入館料は1回5銭であった。開館時蔵書約6万冊、昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定された。
 
関連資料:【学校教育関連施設】