戊申詔書に基づいて、いち早く反応したのが軍隊であった。兵営生活を家庭化し、家族主義を導入していった。また、工場経営についても家族主義がとり入れられていったのである。
また通俗教育としての方策もとられ、前述のような幻燈会、講談会を通して国民道徳の育成をはかった。日露戦争中にできた青年団を育成しようという動きも出ていた。芝区には柴井町青年会、本芝青年会、松坂町青年会の三つがあったという。青年団は以後大正へかけて組織化されていくことになる。
明治44年3月には、「市町村立小学校教員加俸令」も改正され、教員の待遇改善も行われた。この加俸令に続いて「文部省訓令」が発せられ、
方今ノ情勢ニ顧ミテ尚改善ヲ要スルモ(略)尽サヽルヘカラサルモノアリ
とし、今回の加俸は、国民教育の改善を図って「聖旨を貫徹することを期し」たものであることを明らかにした。そして
益々奮励シテ道徳教育及国民教育ノ基礎ヲ確実ニシ以テ其ノ重大ナル任務ヲ全ウセンコト
を小学校教員に求めたのであった。