公立小学校、私立小学校と「特殊小学校」

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 前巻(第2章第1節第1項)で述べているように、東京では、現在と異なり、区(当時は市の行政区であるが、学校財産の設置管理主体でもあった)が運営する公立小学校と、それに比べて設備や組織などが貧弱な半面で授業料が安い、多数の私立小学校が存在していた。また、東京市は明治36年(1903)から、経済的に窮迫(きゅうはく)している子どもたちへの就学普及を目的として、授業料を徴収せず学用品も貸与・支給する、市直営の「東京市特殊尋常(じんじょう)小学校」(通称「特殊小学校」)を設置した[図1]。「特殊小学校」は、深川区(現・江東区)の霊岩小学校、下谷区(現・台東区)の万年小学校を皮切りに合計11校設立され、港区域には芝浦小学校と絶江(ぜっこう)小学校の2校があった(第2章第1節第2項)[図2][図3]。
 

[図1] 特殊尋常小学校校舎建築申請(東京都公文書館所蔵)

 

[図2] 東京市が直営する芝浦尋常小学校(『卒業記念 大正七年三月』)

 

[図3] 大正時代の芝浦尋常小学校の教員(『卒業記念 大正七年三月』)

 
関連資料:【くらしと教育編】第3章第1節(1) 「貧民学校」「特殊小学校」
関連資料:【くらしと教育編】第3章第1節(2) 初等教育についての「棲すみ分け」