明治41年(1908)から大正9年(1920)にかけての芝・麻布・赤坂各区の人口増加率は、芝区31パーセント、麻布区34パーセント、赤坂区21パーセントで市全体の34パーセントに近い伸び方をしている。このような傾向は第1次世界大戦から終戦直後の産業界の好況が大きく影響しているものと考えられる。
この時期にこの地域で最も目立っているのは、芝区を中心とした工業の発展である。芝区には当時規模の大きい工場が次第に増加し、芝浦埋立地には新しい工場地域が形成されようとしていた。一方、古川流域には家内工業の小工場群が見られる。
また、人口増加と住民の購買力の増大にともない、各地に商店街が形成された。芝地域では銀座に近い芝口一帯と新橋を中心とした商店街が発達し、麻布地域には麻布十番、赤坂地域では一ツ木に商店街が形成され繁華街として知られるようになった。なお、港区地域の街の大きな特色は既に序章第1節に述べたとおり、赤坂・麻布地域には皇族邸や各国公館、軍の施設が集中しているため、その地域の商店街は、皇族関係や軍人及び外国公館職員などの住居地に対応して発展した。
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 港区地域の人口