市町村教育財政の窮乏

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 大正期の東京の市町村財政の歳出の主な項目は、教育費、役場費、土木費、衛生費及び公債費などである。教育費は、大正4年(1915)、全歳出の53・1パーセントを示し、大正8年には58・9パーセントを占めるに至った。
 教育費の中心は小学校費で、この費目が市町村財政の半額前後を制していた。義務教育という国政の業務を末端の市町村が担当し、小学校の設立、維持、教育の実施までも支えていた。教育制度の拡充とともに、教育費の市町村の負担は増大し、財政を圧迫した。
 芝区においては、総歳出の主要部分をなすものが教育費であった。教育費のために区の歳出があり、歳入があったと言えるほどである[図5][注釈2]。
 第1次世界大戦後、我が国に一時は好景気をもたらしたが、そのうち著しい物価騰貴(とうき)など不況の時代をむかえ、失業者の増加、農村不況、米騒動をはじめ関東大震災も加わり、国民の経済生活は全く不安と混乱を余儀なくされた。なかでも比較的給与の低い小学校教員の生活は困窮状態にあったが、この給与改善も市町村財政では不可能な状態で国の積極的対策が必要となった。
 

[図5]芝区の総歳出に対する教育費の割合(『芝区誌』)

関連資料:【文書】教育行政 大正期・昭和初期の芝区予算の教育費累年表