大正6年臨時帝国議会で次の建議が行われた。また臨時教育会議においても審議された。
市町村義務教育費国庫補助ニ関スル建議
市町村ノ教育費ハ、年々増加シテ六千万円ノ巨額ニ上リ、市町村総額経費ノ四割ヲ超エ、中ニハ七割以上ヲ占ムルモノ少カラス、而シテ就学児童ハ毎年二〇万乃至二五万人ヲ増加スルヲ以テ、市町村ノ教育費ハ之ト比例シテ益々多キヲ加フルノ勢ナリ、之カ為ニ地方ノ衰微ヲ招キ、自治団体ノ発達ヲ妨クル兆候歴々見ルヘシ、翻ツテ世界列強ノ実例ヲ見ルニ小学校教育費ハ国庫ニ於テ其ノ半ヲ支弁スルモノ多ク、我国ノ如ク其ノ全部ヲ市町村ニ負担セシムルモノ一モアルコトナシ、政府ハ宜シク義務教育費ヲ補助シ、市町村ノ負担ヲ軽減スルノ方法ヲ講スヘシ、右建議ス
この建議を基に大正7年3月、「市町村義務教育費国庫負担法」を制定し公布された。
市町村義務教育費国庫負担法
第一条 市町村立尋常小学校ノ正教員及准教員ノ俸給ニ要スル費用ノ一部ハ国庫之ヲ負担ス
第二条 前条ノ規定ニ依リ国庫ノ負担トシテ支出スヘキ金額ハ毎年度千万円ヲ下ラサルモノトス(以下略)
これにより、従来国の補助であった義務教育費支出は「負担」として規定され、国の責任が明確にされた。
大正7年の国庫負担金は千万円であったが、大正12年には4千万円、大正15年には7千万円となった。しかし、我が国の義務教育財政の基礎は確立したが、市町村財政は依然として困窮を極めていた。