大正デモクラシーと新教育運動

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 大正期の教育は、明治時代からの国家主義的な思想と、第1次世界大戦後の大正デモクラシーの思想との二つの流れに支えられていた。
 第1次世界大戦のあと世界各国に平和主義運動とともに民主主義の思想がひろがった。この民主主義の波は日本にも波及し、国民の意識に大きな影響を与えた。しかし、日本の当時の政治体制からこの民主主義はじゅうぶん成長することはできなかった。大正5年(1916)吉野作造博士は「民本主義」を主張した論文を雑誌『中央公論』に発表しているが、民主主義と表現せず民本主義と表現したところに深い意味が含まれている。大正デモクラシーはこうした状況の中で登場した。また大正11年には被差別部落解放のための団体、全国水平社が創立され、運動が開始された。このような社会情勢と思想の動向は大正の教育界にも大きな影響を及ぼした。
 港区地域では、大正期に公・私立あわせて5校の女学校が新設されている。これなども女性の社会進出意識の高まりによるところが大きかったとみることができよう。