臨時教育会議の答申を受けて、「小学校令施行規則」が大正8年に改正され、とくに科学教育の振興及び国民精神の涵養(かんよう)に努めることが示された。主な内容をみると
理科 第1次世界大戦の影響で、世界各国も科学教育の強化が図られた。わが国でも、動植物・物理・化学・鉱物など広範囲の教材が用意され、実験・観察が重視されるようになった。
歴史 歴史から国史と改められ、国民思想の育成や国体観念の理解が強く求められるようになった。
地理 5年で日本地理、6年では日本地理と世界地理の概要を教えるようになった。国土の理解とともに国際協調の考え方の基礎を培うものとされた。
体操科 体操・遊戯・教練・競技・養護の内容を段階的、系統的に教材を配列した。また、体操科の施設、設備、行事内容にも影響がおよび、一層の充実が図られるようになった。
大正8年に先だって、大正2年「文部省訓令」をもって「学校体操教授要目」が公布され、我が国における学校体育では初めての教授要目であり、その基準性とともに体操科の内容が整えられていった。