区当局もこれに呼応して、次の五つの小学校を新設している。
[図10]小学校就学率(『新修港区史』)
高輪尋常(じんじょう)小学校 芝区高輪北町15 創立 大正2年2月
東町尋常小学校 麻布区東町30 創立 大正2年10月
神明尋常小学校 芝区神明町21 創立 大正3年3月
神応(しんのう)尋常小学校 芝区白金三光町 創立 大正10年4月
赤羽尋常小学校[注釈8] 芝区赤羽町1 創立 大正15年4月
この結果、大正10年(1921)には芝区では16校を数え、下谷区と並んで15区中最も小学校の多い区となった。更に芝区には、市直営の芝浦小学校があった[注釈9]。また麻布区には8校、赤坂区には5校の小学校があった。
しかし、それにもかかわらず、児童数の増加に追いつけず2部授業の実施をせざるを得ない状況も見られた[注釈10][注釈11][注釈12]。
私立小学校としては、三田台裏町に飯田小学校、三田に慶応義塾幼稚舎、白金三光町(さんこうちょう)に聖心女子学院小学校、高輪南町に南高輪小学校の4校があった。
また、尋常小学校から高等小学校をはじめ、中学校・高等女学校・実業学校などに進学する児童が増え、大正末期になり受験勉強が激化した。
高等小学校も内容面で充実した。
大正期に新設された高等小学校はないが、児童数の増加が各校でみられた。芝区には、鞆絵(ともえ)高等小学校、御田(みた)高等小学校、愛宕高等小学校の3校、麻布区には、麻布高等小学校、赤坂区には、赤坂高等小学校、青山高等小学校があった。
昼間就学できない子供達のために区内には南海尋常夜学校、芝浦尋常夜学校、飯倉(いいぐら)尋常夜学校、麻布尋常夜学校、絶江(ぜっこう)尋常夜学校、青山尋常夜学校も設けられていた[注釈13][注釈14]。
学習遅滞児や精神障害児を対象とした心身障害児学級(補助学級)が大正11年に鞆絵・赤坂・筓(こうがい)・本村各小学校にそれぞれ1学級ずつ設置された[注釈15]。また麻布区では大正13年、神奈川県藤沢市に虚弱児童対象の養護施設を開設した[注釈16]。
関連資料:【文書】小学校教育 制限外学級編制
関連資料:【文書】小学校教育 尋常夜学校学則
関連資料:【文書】小学校教育 赤羽尋常小学校新設
関連資料:【文書】小学校教育 <参考>南海尋常夜学校
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第11章第1節 (2)戦前から戦後への学校制度の変化