帝国教育会の動向

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 大正時代の全国的組織としての帝国教育会は、まさに発展時代といえるものであった。帝国教育会は各地の教育会を傘下におさめて中央集権的に組織を強化し、教育界の教育団体として政府と表裏一体の教育運動を推進した。
 澤柳政太郎会長(大正5年から昭和3年まで)は全国の教育会80団体を大正7年(1918)に糾合(きゅうごう)し、大正13年には全国小学校連合女教員会も創設した。更に、大正12年に米国で開かれた世界教育会議にはじめて参加した澤柳会長が世界連合教育会の理事となり活躍した。