国語教科書は『尋常(じんじょう)小学読本』(黒表紙本)と『尋常小学国語読本』(白表紙本)の2種類が編集され、どちらを使用してもよいとされた。実際には、新しく編集された『尋常小学国語読本』が多く使用された。2種類の教科書の編集は、当時の画一打破の考えが示されたものである。黒表紙本の『尋常小学読本』は、旧読本の修正であったが、白表紙本の『尋常小学国語読本』は、全く自由の立場から新しく編集されたものである。
2種類の国語教科書が編集された理由について、『日本教科書大系』の解説には、
全国各地事情のちがっているにもかかわらず、ただ一種の国語教科書を全国すべての小学校で使用するのは不適当であるとの考えにもとづいて、合理的に地域を考えた編集の方針によるもので、進んだ教材観を立てていたということができる。この思想によって、新編集による国語読本は文化的な事情から都市の児童に適するように作り、尋常小学読本の修正本は地方の事情によりよく適合するようにと工夫して刊行されたのである。
[図4]『尋常小学国語読本 巻一』
(国立教育政策研究所教育図書館近代教科書デジタルアーカイブ)
[図5]『尋常小学修身書 巻一』
[図6]『尋常小学修身書 巻一』「オヤノオン」
と述べられている。つまり、都市向けの白表紙本と地方向けの黒表紙本の誕生となったものであり、我が国の教科書制度においては、画期的なことであった。
修身教科書は大正7年から年を追って修正された。時代の推移に即して新しい公民的、社会的な教材が加わり、国際協調の性格が打ち出された。しかし、第2期修身書で確立された国家主義的、家族主義的内容はそのままひきつがれた。また、二宮金次郎が巻2からなくなるなど人物主義は後退した。
歴史教科書は大正10年から『尋常小学国史』のように「歴史」の名称も「国史」へと改められて編集された。臨時教育会議が「国史」の教科を重視し「建国精神国体ノ要義ヲ児童ノ脳裡ニ徹底セシメ国民道徳ニ資セシムルノ要アリ」と答申したことを受けての修正であり、国民思想の育成や国体観念の理解を強く求めた教科書となっている。
地理教科書は『尋常地理書』となり、大正7年から使用された。時代の変化に応じて修正され、5年で日本地理、6年では日本地理とさらに世界地理の概要を教える内容となっている。興味を高め理解を重視して、さし絵や図表などを豊富に採り入れて編集されている。
算数教科書は大正7年から13年にかけて修正が行われた。特に大正10年に尺貫(しゃっかん)法がメートル法に改正され、大正14年から修正された教科書が使用された。掛け算九九は逆九九をも用いる「総九九」となった。
第1学年では数観念をはっきりと認識させるために、実物観察や実物計算を重視している。豆細工や色紙細工などの作業学習もとり入れられた。これも当時の新教育思想を反映した編集となっている。
理科教科書は科学教育の重視が叫ばれ、第4学年用の新しい『尋常小学理科書』が大正11年から使用された。動植物・物理・化学・鉱物など広範囲の教材が、児童の発達段階や季節などを考慮して配列され、実験や観察を重視した編集となっている。