小学校の学校経営

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 大正3年から昭和2年(1927)まで赤坂小学校長として学校経営に当たった宮内与三郎は回想録の中で、
 
  第一に努力したことは職員の和合協調であった。学校は職員全体が和衷協同して一体となり、恰も一箇の人格のような校風を形成して児童の教育に当るのでなければ、訓育の面に於ても教授の面に於ても実績をあげることが出来ないというのが私の信念である。
  第二に努力したことは優良な教員の採用である。人柄のよい人、若くて研究心の旺盛な人を撰んだ。
  第三に努力したことは、分担研究を奨励したことである。私は常に学校の教育は互に分担研究をなし、之を交換して互に指導し、指導されることにより全般のレベルを高め、其の時代に於ける最先端の教育を行われねばならないと考えていた。
  第四に努力したことは理科・工作・体操についての全職員の研修であった。当時理科教育の振興が大いに叫ばれ…(中略)…又体操科に於ては、永井道明氏が欧州留学より帰って瑞典(スエーデン)式体操を唱導し、教授要目の改正をも見るに至り…。(宮内与三郎著『明治大正昭和回想八十六年』)
 
と、述べているが、これは新しい教育思潮の流入と明治以来の教育の改善を要請された大正期に教職員の和合と資質向上を学校経営の重点に定めたものであった。