教授の方針

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 教授の方針について、より具体的な内容を筓(こうがい)小学校の例で見てみよう。
 筓小学校の校報誌『かうがい』第1号(大正3年)は教授の方針として、つぎの五つを示している。
 
  1 自学心を養成したい
  本校では如何にせば依頼心を避けて自学自習に心を向けることが出来るか。教材を如何に案配すれば児童の自学に適する様になるか、自分で工夫して仕事をする様に導いてやるにはどうするのがよいか、と云う様なことについて遺憾のない方法を講じて行きたい考えであります。
  2 個人教授に注意したい
  本校では五十人、六十人、甚しきは七十人近くの生徒を同時に一斉に教授して参ります。自然、教授の方法も一斉に流れて来て個別的に指導すると言うことは困難でございます。心的教科に於ては、個人を放れた授業に傾き易いのであります。故に成るべくその弊に陥(おちい)らない様に、平生注意して観察教授であるとか、各自の談話であるとか、或はその他に種々なる方法を講じないと、十分に個人〳〵に適合した教授は出来兼ねるのであります。
  3 練習主義を重んじたい
  教育は明確な知識を授けなければならないのでありますが、兎角に徹底を欠く様なことがあるのです。是は練習の不足から来た欠陥であろうと考えます。故に教えることは出来るだけ少くして十分に練習しつゝ進みたいのであります。自分でその収得した知識を自由なる発表に持ち歩くまでに進めたいのが練習主義を重んずる所以であります。
  4 市民として必須なる教育を施したい
  小学校教育としては、既に規定された一定の標準が御座いますから、一般の初等教育は勿論これに準拠すべきであります。本校の立場としては一般国民としての教育を施す上に、更に都市の住民としての特殊なる注意を加ふべき必要があろうと存じます。都市の児童として遺憾のない人物を作り上げたい考えです。
  5 直観教授をしたい
  実際について、自由に観察する機会を与えたいと存じまして、校外教授とか観察教授とか夫々工夫致しては居りますが、種々の事情のため思う様に出来ません。本校では此の欠陥を補ひたいと思いまして、直観的な器具や標本の様な品々を購入したり、学校園其の他の経営に苦心して居る次第です。児童の知識の啓発を十分ならしむためには直観に訴えるのが最も適切唯一の方法です。
 
 五つの教授方針には、新教育の主張や国の要請に応じようとする教育実践の姿がにじみでている。
 

[図7]授業風景・台町小学校6年生、大正8年(『高輪台』開校40周年記念)

 
関連資料:【くらしと教育編】第7章第2節 (2)「新教育」が目指したもの