芝小学校では大正13年(1924)ごろ授業の改善をめざして教科担任制を試みている。『芝小学校百周年記念誌』の中で久米井束は次のように回想している。
私は、大正一三年、今と違って、青年教師としてここにまいりました。大正デモクラシーの時代であり、どんどん改革し、思う存分真実の教育をやろうということで、いろいろやりました。まず、一人の先生が全教科を受け持つということは不完全だと考え、当時はまだそういう制度はなかったのですが、教科担任制をやりました。私は、国語とその外に文学と作文をやりました。その外に地理とか歴史とかいろいろありまして、「理科もやってくれ。」と言われたんです。文学と理科……理科は、化学の実験などむずかしいことをやるんです。水素の実験とか危険なこともあります。しかし、それをやらなければ文学もやれないので、「じゃあ、やりましょう。」と、文学と理科とをやりました。
震災による焼失をまぬがれた芝小学校では児童数が増加し、2部授業を余儀なくされていた。その折、大正の新教育を学び自由な発想を持った青年教師が、「真実の教育」を求め授業の効率化、児童のための授業をめざして、今でいう教科担任制の考えを導入し試みたものである。当時の小学校においては、めずらしい試みであり、大正デモクラシーの自由な雰囲気の中でこそ実践できたものであろう。