校外教授・遠足[図14]

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 校外教授や遠足は大正期に入って、ますます充実してきた[注釈10][注釈11]。それは、遠足における運動的な学習とともに事物、事象の直接的な観察学習という要素が重視されてきたからである。
 

[図14]遠足(『桜川小110年誌』)

 神応(しんのう)小学校の大正12年の校報『学校通信』に次のような記録がある。
 
     校外教授と遠足運動
    児童をして人為物および天然物の実際を観察せしめて、実科的知識を収得せしめ、かつ清新な大気に浴びさせて浩然の気を養ひ、心身を鍛練する目的で左記の通り、遠足運動ならびに校外教授を行ひました。
  運動遠足  五月十日挙行
       目黒不動方面 一・二学年    明治神宮 三・四学年    洗足方面 五・六学年
  校外教授  氷川神社   一学年      白金清正公 二学年     芝公園 三学年
        大崎製陶所  四学年      淀橋浄水場 五学年     動力利用展覧会 六学年
 
 区内小学校の記念誌等には遠足、校外学習に関連した記述がある。
 
    コウグワイケフジュ      二 女 秋山サダ子
   私タチハキノフ、カウグワイケフジュデ大サキノイケダサマノオヤシキヘイキマシタ。アサ、ガクカウヲデテ、セイシンノサカヲノボッテ、デンシャドホリニデテ、ヒダリガワヲトオッテ、イケダサマノオヤシキニイキマシタ。
   ソレカラセンセイニ、グワヨウシヲイタダイテ、ケシキヲミテ、スズキトシコサントイッショニ、シヤセイヲシマシタ。ソレヲセンセイノトコロニ、モッテイッテミマシタラ、オジャウヅニデキマシタトイッテ、モウ一ペンウラニオカキナサイ、トイワレマシタカラコンドハアヅマヤヲカキマシタ。ソレカラガクカウヘカヘリマシタガ、カヘリニハミナサン、クタビレタト、オッシャイマシタ。私モクタビレマシタノデ、バンハ、ハヤクネマシタ。 (神応小学校『学校通信』大正15年)
 
 遠足・校外教授は、楽しみの少なかった当時として子拱たちにとっては学校行事の中で最も楽しみにしていたものの一つだったと思われる。
 6年生は、最後の遠足として、鎌倉や日光等に出かける学校が多かった。保護者会[注釈12]が物心両面で援助をしていたことなども教師の記録に残されている。
 
関連資料:【文書】小学校教育 白金小学校校外に於ける教材調査
関連資料:【文書】小学校教育 南山小学校校外教授規程