通学服[図18][図19]

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 当時の児童の服装は和服が中心で、関東大震災ごろから洋服を着る者がふえてきたようであるが、地域内の学校によって、多少のちがいがあるようである。桜川小学校の百周年記念誌における座談会記事「大正を偲(しの)ぶ」によれば、児童の服装は男子は紺のはんてんで背中に学校の徽章を染めぬいたもの、女子はメリンスまたは木綿の着物で、式の時は男子はかすりの着物にはかま、女子はメリンスの着物にはかまをつけて参列した。洋服になったのは震災後である。
 着物、はかま、ぞうり、下駄などの通学服は大正末期に近づくにつれて洋服へと移行していったことは、芝小学校の写真記録によっても明らかである。
 

[図18]早起き会に集まる学童たち・大正初期(赤坂小学校)

 神明小学校の記念誌の中で、学習、学用品、学習時程などのことが述べられている。その状況の一部をまとめると、手工の時間に習字のほご紙でこよりをつくったことや、習字の上手なものは表装し学校に保存したこと、通学時の鞄は男子はズック製、女子は風呂敷包であったこと、鉛筆は各自小刀で削ったこと、習字は1年の2学期から毛筆だったこと、冬は教室にダルマストーブが入ったことなどが記されている。
 

[図19]和服から洋服へ(芝小学校『写真で見る百周年記念誌』)

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