神明小学校の学区域の当時の様子や祭りの様子を記念誌から抜粋してみる。
大門通りはたいそうにぎやかで、おいしい氷屋があり繁盛していた。草市が開かれ、夜店は増上寺の赤門前に四列になって出ていた。
お盆にはお供えものを売る店がいっぱい出た。竹の手のついたざるに、初ものの、とうもろこし、枝豆、新芋などを盛り、戸板の上に並べて売った。
大門の大通りは鈴蘭の街灯が並び、毎晩夜店がたち、今では想像もつかぬほどにぎやかだった。愛宕下には年末に歳の市がたち、東京中の話題をさらうようなにぎわいをみせた。また権現様のお祭りは最大のもので、サーカスがかかり猿芝居の小屋がけが出た。神明さまのだらだら祭りは九月半ばの一〇日間で、中心の一五、一六日は学校も休みであった。
おみこしのかつぎ方は、今とはちがう。三業地なのでお祭りはにぎやかであった。しょうが・甘酒・千木箱などが売られていた。ショウウインドウに相撲の取組みの勝敗が貼り出されるのをのんびりと皆が眺めていた。
子どもたちの生活は、地域の氏神様の祭りや夜店、見世物小屋とのつながりは大きなものであった。おみこしをかついだり、露店をのぞき、大道芸人の芸や見世物小屋などを見てまわることは大きな楽しみの一つであった。当時、神明様のお祭りより、権現様やお閻魔様のお祭りの方がにぎやかであり、楽しかったようである。お閻魔様は二つあった。一つは赤羽橋に、他の一つは大門にあった。一月一六日と七月一六日、双方に露店がでた。しかし、赤羽の方は芝公園の広場の前側にあり、大門の方は増上寺の末寺が立並ぶ道路側にあるため、露店や見世物は赤羽の方が断然多くあったようで、大きなにぎわいを見せ、子どもたちも多く集まっていた。
子供たちは氏神の祭りをはじめ、地域の諸行事などに積極的に参加し町の一員として生活を十分に楽しんだものである。