国・市の対応

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 視覚や聴覚の障害児に対する教育が早くから進展していたのに対し、精神障害児に対する教育は著しく遅れた。その理由は、第1に精神障害は治療不可能と考えられていたことと、第2に治療不可能は教育不可能と結びついていたことにある。
 しかし、児童研究の発達は、障害児への関心を高めていった。我が国も明治末期ごろから、欧米の障害児の研究が紹介されはじめた。特に、フランスのビネーが開発した知能検査によって、知能遅進児や精神障害児への関心が高められた。
 公立小学校に補助学級の設置が促進されるようになったのは大正期の後半である。その学級は東京・大阪のような大都会中心であった。東京では、後藤新平市長が力を入れ、大正9年(1920)林町小学校と太平小学校に1学級ずつ設置された[注釈24][図23]。
 林町小学校では「促進学級」と呼び、知能程度は、IQ75以上90以下の児童を入級させた。東京市は、特殊学級の指導研究を進めるにあたって、東京高等師範(しはん)学校教授楢崎浅太郎に委嘱した。その結果、大正11年に市内小学校に特別学級20学級を増設することになった。

[図23]東京市内補助学級の変遷(荒川勇他著『日本障害教育史』)