補助学級の新設と実践

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 港区地域の補助学級の新設は、大正11年(1922)4月、絶江(ぜっこう)小学校に1学級17名。同年9月、赤坂小学校に1学級24名。同年10月、筓(こうがい)小学校に1学級22名。大正14年4月、本村小学校に1学級22名を設置し、精薄児教育を開始した。
 筓小学校の補助学級(促進学級)[注釈25]について、同校の記念誌や校報『かうがい』第11号(大正12年)から、その概要を示してみる。
 筓小学校ではすでに大正初期から特別教授制度があって、児童の学力充実に努めてきたのである。そして、市の要請で促進学級設置にふみ切らなくてはならなくなったとき、今井定雄訓導(くんどう)の私案が出された。その骨子をまとめると次のとおりである。
 
  ① 選出法は専門家や大家だけにまかせず、現場での数年間の経験や担任の観察を総合して決める。
  ② 二・三年、四・五年、六年の五学級編成にすることを前提にして、今回は二年生と三年生から選ぶ。
  ③ 一年生は測定困難であるし、学力よりも学習態度を養う時期だから選出しない。
  ④ 補充という考えで三年生まで特別教授を行い、四年生から元級にかえすという方針は改めるべきである。
  ⑤ 児童が元級の程度まで促進された場合は、その時期を問わず元級に復帰させる。
 
 私案を受けて選出の問題、学級編成、指導の記録が残されている。
 
   本校では東京市役所の命令で昨年の一〇月から、促進学級と申す特別な学級を一組だけ設ける事になりました。此の促進学級は一名補助学級とも申しまして、普通の学級では他の児童と一緒に、勉強を続けて行く事の出来ない者を集めた組であります。今東京市の小学校二〇〇余りの中で此の学級の置いてあるのは二〇校だけで、麻布区では本校のみに置かれたのであります。
   此の学級に編入される児童には色々の原因が有りますが縮めて申しますと
  ① 病気や其の他の理由で、学校を長らく欠席した為に学科が遅れた児童
  ② 生れつき身体や精神の発育が普通の児童に較べて遅れて居る為に成績が不良になった児童
  との二つの種類が有る様です。
   本校の促進学級には只今、二〇名居りますが、是等の児童を選びますのに余程苦心致しました。(中略)
   選びますのには、学科試験とメンタル・テスト(知能検査)とによりました。学科試験は算術と読方との二科目で二年の児童には一年一学期から二年一学期迄四学期分を、三年の児童には二年二学期から三年一学期迄三学期分の試験をしました。此の結果約四〇名の児童を選びました。此の四〇名の児童に、市役所の方がメンタル・テストを致されまして、更に受持教員や校長と相談の上で愈(いよいよ)二〇名の児童を選んだのであります。……(中略)
   是等の児童を教へますには、普通の学級の教へ方とは全く違ひまして、昔の寺小屋式に一人ずつ教へるのです。教へると申すよりも、成る可く一人で勉強する様に仕向けるのです。或者は計数器で一つ二つと数をかぞへ、他の者は四角なボール紙に書いてある片仮名で歌留多遊びをして居るのもありました。(後略)
(『かうがい』第11号)

 
関連資料:【文書】特別支援教育 笄小学校促進学級の設置
関連資料:【文書】特別支援教育 特殊教育施設に関する報告書
関連資料:【文書】特別支援教育 笄小学校特別学級に関する報告書
関連資料:【文書】特別支援教育 赤坂小学校の養護教育
関連資料:【学校教育関連施設】